心に余白がなくなったとき、自然の前で仕事をして気づいたこと
心に余白がなくなると、世界が狭く感じる
最近は特に、
頭の回転が遅くなってきたのか、
毎日を忙しさの中で
駆け抜けているように感じる。
思考を巡らせて問題を解決し、
新しいことを理解しようとしながら、
とにかく置いていかれないように、
なんとかついていっている。
こんな生活を続けていると、
心に余裕は生まれず、
いつか自分は、
この波に乗れなくなる日が
来るのではないか。
そんな先行きの不安を、
ふと感じることも少なくない。
広い自然の前に立つと、なぜ気持ちが軽くなるのか
そんなとき
仕事で環境が少し変わり
海の見える場所に身を置く時間があった。
そこで、ふと思った
何かごちゃごちゃしていたものが
少しスッと片づいたような感覚だった。
人混みにまみれて過ごす日々から
ほんの少し解放されたからだろうか。
広い海を眺めていると
狭い心の中に、ギュウギュウに詰め込んでいたものが
実はとても多かったことに気づいた。
本当はもっと容量があったはずなのに
いつの間にか、小さくなっていた。
胃が小さくなって
前ほどご飯を、もりもり食べられなくなったように
心の余白も、気づかないうちに減っていたのかもしれない。
もっと大きな心で
自分らしくいられる余地が
まだ残っていたことに気づいて
少しホッとした。
近くばかりを見ていると
たまには遠くを見ないと
目と同じように、
心の調子も悪くなってしまうのかもしれない。
そんな自分に気づけたことに
静かに感謝した。
余白は「環境」よりも「視点」で生まれる
振り返ってみると、
心が少し軽くなった理由は、
沖縄にいたから、海が見えたから、
それだけではなかった気がしている。
あの場所にいたことで、
自分の置かれている状況を
少し離れたところから眺めることができた。
ただ、それだけだったのかもしれない。
忙しさの中にいると、
目の前のことがすべてになってしまう。
問題も、不安も、
実際よりずっと大きく見えてくる。
でも、一歩引いて見るだけで、
「今の自分は、ずいぶん近くばかりを見ていたな」
と気づくことがある。
余白というのは、
何かを足して生まれるものではなく、
見方が少し変わったときに、
ふっと現れるものなのかもしれない。
環境を大きく変えなくてもいい。
遠くへ行けなくてもいい。
ほんの少し、
自分の状態を見つめ直す時間があれば、
心の中に空きスペースは生まれる。
そう思えるようになったことが、
今回いちばん大きな気づきだった。
日常で心に余白をつくる、小さな習慣
心に余白をつくるために、
何か特別なことを始める必要はないのかもしれない。
遠くへ行けなくても、
環境を大きく変えなくても、
日常の中でできることは、案外いくつもある。
たとえば、
予定をひとつ減らしてみる。
やらなくても困らないことを、
今日はあえてやらないでみる。
ほんの5分でもいいから、
何もしない時間をつくる。
スマホを置いて、
ただ窓の外を眺めてみる。
その間に、
「今、自分は余裕があるだろうか」
と、そっと自分に問いかけてみる。
答えが出なくてもいい。
気づけただけで、
心の中に少しスペースが生まれる。
余白は、
頑張ってつくるものではなく、
気づいたときに、
自然と戻ってくるものなのかもしれない。
心を整えることは、立ち止まる勇気を持つこと
心を整えるというと、
何かを変えなければならない、
前に進まなければならない、
そんなふうに考えてしまいがちだ。
でも実際は、
立ち止まることのほうが、
ずっと勇気がいるのかもしれない。
忙しさの波に乗り続けていると、
立ち止まることは、
置いていかれることのように感じてしまう。
けれど、
自分の状態に気づき、
少し視点を引いてみるだけで、
見えてくるものは確かにある。
心に余白が戻ると、
世界が急に変わるわけではない。
ただ、
同じ景色を見ているのに、
受け取り方が少し変わる。
それだけで、
また一歩、
自分らしく進める気がしてくる。
立ち止まることは、
後退ではなく、
整え直すための時間。
そんなふうに思えるようになったことが、
今の自分にとっては、
いちばん大きな収穫かもしれない。
