守りに入っていた50代が、前を向いた日
守りに入っていた50代が、前を向いた日
「50代だから、しょうがないよね。」
きづいたら、 この言葉が口癖になっていた。
体が疲れやすいのも。 すぐ眠くなるのも。 行動が億劫になるのも。 やるべきことを先送りにするのも。
全部「50代だから」で 片付けてきた。
ダラダラ過ごす時間も 「余計なエネルギーを消費しない 賢い選択」と 言い訳を作った。
考えれば出てくる。 いくらでも。
鏡の中の自分を見るたびに 疲れ果てた顔があった。
勢いがなくて、 希望に満ちていなくて、 「年取ったな」という思考を 自分で自分に植え付けていた。
これは諦めじゃない、 環境への適応だ、と。 年相応のことだ、と。
でも本当は わかっていた。
守りに入るということは、 失うものもないけれど 得るものも何もない。
時間だけが過ぎていく。
自分の物語なのに まるでモブキャラのように、
いるようで、いない。
そんな存在に なっていた。
英語という「怖いテーマ」と向き合う
アメリカの大学を出ている。
それなのに、英語が怖かった。
正確に言うと、 「できない」のではない。
「伝わらなかったらどうしよう」 という恐怖だった。
中学・高校の頃から 英語が得意ではなかった。
理由は単純だ。
「受動態」という言葉を見て まず思ったのは 「受動って何だ?」だった。
英語を理解する前に 日本語でつまずいていた。
理解できないものを 受け入れられない性格が 英語との距離を広げていった。
言葉は 相手に何かを伝えるためのものだ。
それが母国語でさえ難しいのに、 英語で感情と言葉の整合性を 取り切れるのか。
相手の「何?」という表情を 見るのが怖かった。
そしてもう一つの恐怖があった。
同じ仕事をしている人間と 比べられることへの怖さ。
でも本当は、 それは他人の評価への恐怖ではなく、
自分の存在価値への 予防線だった。
保険をかけるマインドだった。
だから挑戦しなかった。
ある日気づいた。
英語は「学問」じゃない。
「コミュニケーションツール」だ。
簿記3級を持っているなら それを使って仕事をするように、
英語というツールの 使い方を磨けばいい。
それだけのことだった。
その気づきが、 全てを変えた。
腹を括った瞬間
52歳になった時、気づいた。
同じ年齢で この仕事を最前線でやっている人間が ほとんどいなくなっていた。
終着点が、見え始めていた。
最後くらいは 思い通りにやり遂げたい。
そんな思いが ふと頭をよぎった。
そしてもう一つ、 正直に言わなければならないことがある。
一昨年、父親が癌で手術をした。
今は元気だ。 でも一時は、 人生を終える可能性もあった。
身近な死というものを感じた時、 人間は否応なく気づく。
自分に残された時間のことを。
失うものがないとは言わない。 でも、後悔する方がもっと怖かった。
誰かに宣言したわけじゃない。
退路を断つような 格好いいことはしなかった。
ただ、自分に言い聞かせた。
言葉に出さない行動に 美学を感じる性格だから。
その瞬間、 スッとした。
久しぶりに 前に進めた気がした。
自分が、蘇ってきた感じがした。
動き始めたら、世界が変わった
動き始めてから 最初に変わったのは 気持ちではなく、行動だった。
「先にやっておかないと 間に合わない」
その思考が 自然と体に染み込んでいった。
100%思考を巡らせて 最適解を選び 実行するスピードが増した。
そしてある日、 気づいたことがあった。
英語の通訳をした時のことだ。
上手くできたとは思っていなかった。 でも周りの評価は違った。
通訳の専門スタッフに こう言われた。
「専門用語が入ってくると ああいう形でないと難しいので、 助かります。」
自分の英語が 誰かの役に立った。
できた・できないではない。
「やった」という事実が そこにあった。
その瞬間わかった。
守りに入っていた時間は 失うものもなかったけれど、 得るものも何もなかった。
でも一歩踏み出した瞬間から 世界が動き始めた。
これは 大きな変革ではない。
派手な成功でもない。
ただの、 カスタマイズだ。
今までの自分から、 少し自分好みな自分へ。
それだけで十分だった。
50代は終わりじゃない。カスタマイズする入り口だ。
気づいたことがある。
変えられないものと、 変えられるもの。
この二つを理解するだけで、 可能性は広がっていく。
今まで何度も 変えられないものを 変えようとしてきた。
他人の評価を良くしたい。 誰かに気に入られたい。 若返りたい。
全部、変えられないものだった。
鏡の中の自分が 老けていくことは止められない。
見た目が変わっていくことも、 時間が経つことも、 止められない。
でも。
その自分を 好きになれるかどうかは、 変えられる。
変えられるのは、 紛れもなく自分自身だけだ。
それに気づいた瞬間、 打算的な考えが消えた。
大きな期待も、 見返りを求める気持ちも、 いらなくなった。
シンプルになった。
50代は終わりじゃない。
自分でコントロールできる、 自分自身をカスタマイズできる、
そんな自分を 楽しんでいける入り口の世代だ。
あの時、挑戦した。
色々な状況が そうさせてくれたのかもしれない。
でも50代という、 思考も経験も重ねてきた今だからこそ、
その機会を感じ取れた。
活かせるタイミングだった。
あのとき挑戦した自分に、 今は静かに感謝している。
