守りをやめた日|50代が手に入れた、フットワークの軽さ
余計なことをしない。
それが賢い生き方だと思っていた。
でもそれは、守りに入っていただけだった。
守りに入っていた、その正体
気づかないうちに、こんな風に考えていた。
休日は家で過ごす。
無駄なエネルギーを使わない。
仕事は若手に譲っていく。
これからは若い奴らの時代だから、脇役に徹しよう。
余計なことを言わない。
会社を首になったら、元も子もない。
一つひとつは、まともな判断に見える。
でも全部並べると、気づく。
これは守りじゃなくて、逃げていただけだった。
可能性を自分で削っていた。
そのことに、気づいていなかった。
火は、消えていなかった
50代に入って、英語の通訳を頼まれた。
他にできる人がいない。
断る理由も、断れる状況でもなかった。
やるしかなかった。
不安だった。
でも心のどこかで思った。
「よしいっちょやってやるか。」
自分から攻めに行ったわけじゃない。
状況に押し出された。
でも、その瞬間に気づいた。
火は消えていなかった。
守りに入りながらも、ずっとそこにあった。
ただ、使っていなかっただけだった。
やればまだできるじゃん
通訳を終えて、思った。
「俺って、やればまだできるじゃん。」
老いを言い訳にするのをやめた瞬間だった。
できた・できないより やったという事実が、自分を変えた。
結果じゃない。
挑戦した自分への、静かな誇り。
それだけで十分だった。
50代でもまだ変われる。
その確信が、次の一手を踏み出す力になった。
攻めとは何か
守りをやめたからといって、無理をするわけじゃない。
私の攻めは、こういうことだ。
やろうと思ったことを、フットワーク軽く実行する。
でも実行できない自分も、責めない。
余白は残しておく。
ノルマじゃない。
縛られたら、続かないから。
やりたいからやる。
それだけでいい。
完璧じゃなくていい。
全部できなくていい。
ただ、逃げない。
それが今の攻めの形だ。
守りから攻めへ、その先に
50代は終わりじゃなかった。
再設計の入口だった。
余計なことをしないという守りが いつの間にか自分の可能性まで削っていた。
でも火は消えていなかった。
状況に押し出されて、気づいた。
「よしいっちょやってやるか。」
あの瞬間から、何かが動き出した。
フットワーク軽く。
でも自分を責めない余白も持って。
守りをやめた日から、50代が面白くなった。
あなたの火も、まだ消えていないはずだ。
