自分を整える

気づかれずに良くなる方が、なぜか満足だった|50代が気づいた、目立たない努力の正体

バマ

有能な人に、時間が集まっていく現象

有能な選手には、周りが自然と時間をかけるようになる。
丁寧に、その人を中心に物事が回り始める瞬間がある。
悪いことじゃない。
有能な人と仲良くなれば、こちらの発言力も上がる気がする。
周りがそうしたくなる気持ちはよくわかる。

でも自分は、いつも逆を選んできた。

よほど波長が合う相手でない限り、有能な選手にはあえて時間を割かない。
むしろ、その他大勢の方に足が向く。
全員を見る立場だから、というもっともらしい理屈はある。
でも本当のところは、それだけじゃない気がしている。

損とわかっていて、それでも選ばなかった

有能な選手からすれば、自分はきっとそっけない存在に映っているはずだ。
挨拶程度で、あまりよってこない。
周りが成績向上とともに持ち上げていく中で、なんでこの人は来ないんだろうと薄々思われているんだろうということは、なんとなく肌で感じる。

それでも自分は、あえて利益にならない方を選び続けてきた。
人脈作りが下手なだけだと思っていた。
損することが多い性格だな、くらいに片付けていた。

でも、違った。
あれは下手なんじゃない。
後ろめたさだった。
得を狙って動くこと自体に、うしろめたさがあったんだと思う。

本当は、自分のペースを守りたかっただけかもしれない

昔は、この性格のせいでチャンスを潰しているとずっと感じていた。
有能な選手のそばで利益を受けている人を見ると、正直、嫉妬している自分もいた。
それでも、その輪に自分から入っていくところまでは、いつも振り切れなかった。

最近、思考が整理されてきた。
根っこにあったのは損得の話じゃなく、その人が中心になって回る輪に入ると、自分のペースじゃなくなることが嫌だった、というだけなのかもしれない。

大金持ちの1人と親しくなるより、町内会の人たちと仲良くしている方が、自分には合っている。
その他大勢との関わりを大切にしたい思いが、単純にある。
ストレスの少ない環境を選ぶタイプなんだと思う。
ある意味、保守的なのかもしれない。

見られる・評価されるということは、周りの期待や応援がそこに入り込んでくるということでもある。
それは、有能な人の輪に入って自分のペースが乱されるのと、根っこは同じことなのかもしれない。

掃除に見えた、満足の違い

似たようなことが、掃除でもある。
誰かが見ている前でしっかりやってアピールするより、後から誰かが気づいて「あれ、綺麗になってる」と驚く方が、自分の中ではずっと満足度が高い。
知らぬ間に良くなっている方が、なぜか気持ちがいい。

娘に見た、同じDNA

これ、長女にも同じものを見た。

勉強していないふりをして、良い成績を取る方が好きなタイプだ。
すごいと言われなくても、自分の中の満足度はもう高い。
頑張っているのを気づかれた上で良い成績を取ると、実力だけでとった気がしなくなる。
周りの応援があったから、という感覚が混ざってしまうからだ。
だから、親に「勉強してるの」と言われると、無性に反発したくなる。
ほっといてくれ、と。

親からすれば、やっていないように見えるから言いたくなる。
それもわかる。
でも、知られたくない自分もいる。
矛盾しているし、葛藤もある。
これは間違いなく、俺のDNAだ。

気づかれずに良くなることの正体

つまり自分は、目に見えて良くなることより、気づいたら良くなっていることに価値を感じる性格なんだと思う。

社長にいいところを見せる方が、出世も給与も上がるかもしれない。
それでも、その他の部分を良くする方を選んでしまう。
損することが多い人生だったのかもしれない。
それでも、それでいいと思っている自分もいる。

キャパシティは有限だ。
誰に時間を配分するかには、無自覚な価値観が出る。
自分の場合は損得の計算じゃなく、自分のペースを守りながら気づかれずに良くなることへの満足度だった。
目立たないところで良くなっていく方が、一番の報酬だったのかもしれない。

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ABOUT ME
バマ
バマ
50代の再チャレンジャー
アスレティックトレーナー/トレーニングコーチ。 プロとアマチュア、両方の現場で四半世紀以上、選手と向き合ってきた。 50代になって気づいた。自分を一番蔑ろにしていたのは、自分自身だった。 体を整え、思考を整え、暮らしを整え、そして自分を整える。 守りから、前へ。
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