頼ったら負けだと思っていた|50代が気づいた、助け合いの設計
妻との買い物の約束を忘れた。
怒られた。
でも妻は「しょうがないな」と言って、後日一緒に行ってくれた。
「別に大したことじゃないよ」と。
その一言が、妙に刺さった。
自分の中では大失態だったのに、妻にとってはそうじゃなかった。
一人で抱えて、一人で落ち込んでいたのは、自分だけだった。
「頼ったら負け」はどこから来たのか
振り返ると、子供の頃からそういう思考だったと思う。
わからないことがあると、仲間から外れる気がしていた。
流行りのことも、勉強のことも、知らないと同じ場所に立てない怖さがあった。
共感できないと仲間じゃなくなる、そんな感覚が奥底にあった。
親に聞くことも、躊躇していた。
「そんなこともわからないのか」と言われる怖さ。
期待を裏切ってしまう不安。
心配をかけてしまうというマインドが、いつの間にか「自分でなんとかする」を前提にさせていた。
それが50代になっても続いていた。
頼ったら負け。
借りを作ったらどこかで返さなきゃ。
弱みを見せてはダメ。
そういう思考が、ずっと奥底にあった。
一人で抱えた結果、ミスが増えた
自分でなんとかしようとするから、こぼれる。
タスクを頭の中に抱えすぎて、抜け漏れが増えた。
妻との約束を忘れた。
仕事でちょっとしたミスを連発した。
一人で全部やろうとするから、どこかで必ずこぼれる。
それが50代の現実だった。
惨めだった。
誰にも言えなかった。
今まで自分では考えられないようなミスをするたびに、一人で抱えて、一人で落ち込んでいた。
でも、一人で抱えようとしていた自分自身が、その原因だったと今は思っている。
後輩に頼ったら、楽になった
あるミスをした時、後輩が助けてくれた。
フォローしてくれた。
その時に気づいた。
頼んでいいんだ、と。
それから、仕事を振るようにした。
「これ、お願いできる?」と明示的に頼む。
遠慮しない。
後輩も動きやすそうだった。
自分も楽になった。
もちろん、自分も後輩の手伝いをする。
仕事の手柄は、自分一人が出しているものじゃない。
みんなのサポートがあって成り立っている。
そう思えるようになってから、仕事の見え方が変わった。
責任が分散されると、失敗の見方が変わった
一人で抱えていた時は、ミスをするたびに自分だけを責めていた。
でも、色々な人と一緒に動くようになってから、失敗も「色々な要因があるから」と思えるようになった。
自分だけのせいじゃない。
環境も、状況も、タイミングも、全部絡み合っている。
責任を分散することは、逃げることじゃない。
助け合いの社会の仕組みの中で、自分の役割を果たすことだ。
妻に怒られることも、今は少し違って見える。
怒ってくれるのは、それだけ自分のことを見ていてくれるからだ。
自分を律するきっかけをくれる存在として、ありがたいと思えるようになった。
頼ることは、負けじゃなかった
「頼ったら負け」と思い続けてきた。
でも本当は、一人で抱えることが、ミスと惨めさを生んでいた。
人に頼ることを受け入れたら、失敗が怖くなくなった。
責任の重さが変わった。
妻の存在が、ありがたくなった。
50代になって、やっとわかった。
頼ることは負けじゃない。
助け合いの中で生きることが、一番強い生き方だと。
