人付き合いが得意じゃなかった|50代が気づいた、違和感の正体
人は財産、という言葉がある。
でも正直、そう思えていない自分がいた。
人との関わりを、どこか「面倒なもの」として処理してきた部分があった。
自分の中でそれが当たり前になっていた。
人をうまく使える人を見て、思ったこと
45歳の部下がいる。
彼の立ち回りが上手い。
自分ができなくても、人をうまく動かして価値を出せる。
話術で「できているように」見せることもできる。
人から情報を引き出して、別の人に伝えて、「情報を持っている人間」として自分の価値を高めていく。
需要と供給の間を取り持つ、仲介業者のような仕事だ。
彼の仕事ぶりを見ていると、人脈とはこういうことかと気づかされる部分がある。
それを見ながら、正直「すごい」と思った。
同時に「ずるい」とも思った。
自分のスタイルは真逆だ。
自分で作って、自分で売る。
こだわり農家みたいなものだ。
認められれば価値が上がる。
でも認められなければ、それほどの結果は出ない。
仲介業者の方が、ある意味効率がいい。
自分で生産しなくていい分、労力は少なく見える。
だから「ずるい」と感じたのかもしれない。
でも、どちらが正解ということでもない。
スタイルの違いだ。
それはわかっている。
わかっているのに、なぜか気になった。
なぜ自分はあちら側に踏み出せないのか。
違和感の正体が、わかってきた
できないわけじゃない。
やろうと思えばできる部分もある。
人と話すこと自体が嫌いなわけでもない。
でも、どこかで一歩が出ない。
最近、その正体がわかってきた。
自分のペースを乱されることが、一番嫌なのだ。
人をうまく使うには、相手の都合に合わせて動く必要がある。
情報を引き出すには、相手が話したいタイミングを待つ必要がある。
それが、自分のリズムを崩す。
自分のペースが崩れると、思考が止まる感覚がある。
「面倒くさい」と感じていたのは、人そのものじゃなかった。
自分のペースが乱れることへの抵抗だった。
もっと言えば、少なくとも仕事においては、人との関わりは家計費の収支みたいなものだと思っている。
毎月の固定費だけで生活できている時が一番安定するように、人との関わりも、余計な出し入れがない方が安定する。
そのマインドが、自分の根底にあるのかもしれない。
今まで仕事がメインだったから、その感覚が強くなった。
そしてそれが、プライベートにも染み出していたのかもしれない。
人付き合いという大きな括りで「苦手」「興味がない」と思い込んでいたのは、もしかしたら仕事での経験が作り上げたマインドだったのかもしれない。
克服すべきか、それとも自分のスタイルか
ただ、そこで止まっていていいのかという葛藤もある。
人をうまく使えると、チャンスも評価も広がるかもしれない。
でも、そういう評価は自分そのものではなく、「自分の先にある何か」を見られている感じがする。
何か違う、と思ってしまう。
なぜそう思ってしまうのか。
振り返ると、若い頃は人に合わせることのしんどさの方が勝っていた。
嫌と言えない。
ペースを乱される。
その経験が積み重なって、今の自分の感覚を作っているのかもしれない。
自分のペースで、生きていく
人付き合いが得意じゃなかったのではなく、自分のペースで人生を楽しみたい気持ちが強いだけだった。
万人に評価されたいわけじゃない。
わかってもらえる人にわかってもらえればいい。
仕事は仕事、自分や家族が満足できる程度でいい。
他人に干渉されず、自分のペースで生きていける環境があればいい。
自分の人生を、誰かに左右されたくない。
そのくらい、自分を大切にしたい。
そう思うようになったことが、今の自分を作っているのかもしれない。
→ まとめて読むなら|50代の自分の整え方
