曝け出せる関係|50代が気づいた、キャラと素の境界線
家では、素の自分でいられる。
そう思っていた。
職場で作っている「頼れるコーチ」というキャラ
25年以上、プロ・アマチュアの現場でアスレティックトレーナーをやってきた。
職場では、筋の通った、頼れるキャラを作っている。
アメリカに留学していた経歴、英語も話せること、トレーニング理論をきちんと説明できること。
選手へのアドバイスやメンタルのサポートをする立場だからこそ、おちゃらけたキャラではいられない。
選手との距離感も含めて、しっかりしたコーチであることを保っている。
それは意識して作ったキャラというより、この仕事を続けるうちに、自然と固まっていったものだ。
家では、親父ギャグを言う甘えん坊
でも、家に帰ると違う。
親父ギャグを言う。
娘に構ってもらいたくて、しつこく話しかける。
アニメやゲームが好きな、ただのオタクになる。
やや、ズボラなところもある。
それでも、家事は手伝う。
職場の「筋の通ったコーチ」と、家の「おちゃらけた甘えん坊」。
同じ人間とは思えないくらい、キャラが違う。
でも、素のはずの場所にも、仕事の癖が染み込んでいた
ただ、最近気づいたことがある。
妻に何か相談された時、つい理論的に、長く説明してしまう。
選手にトレーニングを実行してもらうために、普段から丁寧に理屈を説明する癖がある。
それが、そのまま家でも出る。
妻からは「そんなに詳しく聞きたかったわけじゃない」と言われることがよくある。
体を引き締めたいという妻に、エクササイズを教えることもある。
その時、選手と同じレベルの回数や強度でやらせてしまう。
「一般女性のレベルで教えて」「そんなのできないよ」と言われる。
アスリートを相手にしている時間が長すぎて、一般的な尺度がわからなくなっている。
素を出しているつもりの場所にも、職業の物差しがそのまま染み込んでいた。
曝け出すとは、癖ごと受け入れてもらうこと
だとしたら、「素の自分」というのは、職業の癖を完全に脱いだ、まっさらな自分のことではないんだと思う。
理論っぽく説明しすぎる癖も、アスリート基準で加減がわからないところも、親父ギャグでしか甘え方を知らないところも、全部込みで、今の自分だ。
家族は、その癖込みの自分を、呆れながらも受け入れてくれている。
指摘はされる。
でも、離れていかない。
曝け出せる相手を、もう一人持てるか
サービス業をしていると、対人用のキャラをどうしても作ってしまう。
相手にどう見られたいか、というものを、無意識のうちに設計してしまう。
それは仕事の質を保つ上では必要なことだけど、そのキャラのままでは、素を出す相手は増えていかない。
考えてみると、家族との時間以外は、基本的にずっと仕事モードの延長だった。
ジムのトレーナーと話しても、そこも結局トレーニングの話になる。
旧知の友人と会っても、無意識に、プロのトレーニングコーチという、ある意味自分自身が成長した「大人ぶったキャラ」を出して、昔の自分を覆い隠そうとしている。
結局、誰と会っても、仕事のキャラを脱げていない。
だからこそ、必要なのは、話題が合う相手というだけじゃない。
こういう職業の癖も含めて、丸ごと呆れながら受け入れてもらえる相手を、家族以外にもう一人持てるかということなのかもしれない。
そんな相手を見つけるために、まず自分自身が、普通の日常に戻っていい。目線を、わざわざ高くしておく必要はもうない。
素の自分を受け入れてくれる人は、きっとたくさんいる。
人間の価値は、他人が決めるものじゃない。
自分で決めるものだ。
居心地がいいと感じる相手は、きっとそこにいる。
