ペットが教えてくれたこと|50代が気づいた、失ってからでは遅いこと
8年前、上の娘が「飼いたい」と言ってサラが家に来た。
ヤンチャで、イタズラ好きで、いろんなものをガジガジしていた女の子のうさぎだった。
お世話をしていたのは、気づいたら俺だった
娘が飼いたいと言って始まったのに、日々の世話はいつの間にか俺と妻が担うようになっていた。
朝一番に起きる俺が、ごはんをあげる係になっていた。
お腹が空いたサラは、俺が起きてくるとケージをガジガジして「早くちょうだい」とアピールしてくる。
ケージの外に出たい時も同じだった。
ケージの天井を開けた瞬間にジャンプして飛び出していく。
家の中で追いかけっこしたことも、何度もあった。
朝や仕事から帰ってきた時、自分の足元をブーブー言いながらぐるぐる回る。
これは俺だけにしてくれる特別な行動だった。
家族からは「なんでパパだけ」といつもやっかまれていた。
世話をしていたから懐いたのか、懐いていたから世話が苦にならなかったのか。
今となってはわからない。
顔をくっつけても、その場にいてくれた
家族の誰かが撫でると、サラは気まぐれにどこかへ行ってしまう。
でも俺が撫でながら顔をくっつけても、サラはその場にいてくれた。
逃げなかった。
ただ、そこにいた。
その温もりに、俺は何度も癒された。
言葉にならない安らぎを、サラから受け取っていた。
当時はそれを「懐かれてるな」くらいにしか思っていなかった。
でも今思えば、俺もサラに支えられていたのだと思う。
出張中に、家族が号泣していた
出張中の夜、サラが危険な状態だと連絡が来た。
家族はリビングに集まり、交代で撫で続けた。
言葉もかけた。
最後まで、そばにいた。
俺はビデオ通話の画面越しに、それを見ていた。
会えなかったことは残念だった。
でも、最後の時間を画面越しに共有できた。
それが今の自分にできることだった。
涙は出てこなかった。
画面の向こうの出来事が、現実なのかどうか、うまく掴めなかった。
感動も悲しみも、その場にいなければ本当の意味では味わえない。
それを改めて思い知った。
その画面の向こうで、家族が泣いていた。
その涙を見て、サラがどれだけ愛されていたかを、改めて知った。
失ってから気づくことがある
そして、もう一つのことに気づいた。
生きている間は「そこにいるもの」として接していた。
余白の時間にそっとそばにいてくれる。
温もりがある。
でも邪魔はしてこない。
たまにイタズラして自分の存在をアピールする。
それが家族の小さな事件になって、会話の種になる。
子供たちの思春期、家族の空気がピリッとした時、サラがその場を和らげてくれることがあった。
サラは、家族の緩衝材だった。
そのことに、いなくなってから気づいた。
毎朝ケージを開けて、追いかけて、足元をぐるぐるされて。
それが当たり前だった。
当たり前すぎて、どれだけ大切だったかを意識していなかった。
これは、ペットに限った話ではないと思う。
人も、場所も、関係も——失ってから気づくことの方が、圧倒的に多い。
家族の絆の美しさを、改めて見た
号泣する家族を見て、俺は別のことも気づいた。
この家族は、大切なものへの感情がピュアだ。
悲しむことができる。
愛することができる。
それを隠さずにいられる。
自分の居場所がここであること、この家族でよかったと、心から思った。
出張先でひとり、画面越しにそれを受け取った。
健康でいることは、自分のためだけじゃない
サラのことを考えながら、ふと思った。
自分が亡くなった時のことを。
家族が大人としてそれを受け入れられるようになるまで、ちゃんと生き続けなければならない。
それは義務というより、覚悟に近い。
家族が悲しまないように、健康でいる。
自分が元気でいることが、家族の安心につながる。
それは頭ではわかっていたことだ。
でも、サラを通じて、改めて腑に落ちた。
いつか来る別れを、俺たちは全員知っている。
妻がいなくなることを想像するだけで、ゾッとする。
だからこそ、今だ。
今、健康でいる。
今、そばにいる。
今、伝える。
不規則な生活を続けている子供たちへ。
家族のことで自分の健康を後回しにしている妻へ。
感謝しながら、同じことを言いたい。
自分を大切にしてほしい、と。
失ってからでは遅いことがある
サラは8年間、家族の一員だった。
ヤンチャで、イタズラ好きで、俺の足元をブーブー言いながら回っていた女の子。
顔をくっつけても逃げなかった、俺だけのサラだった。
失ってから気づくことがある。
でも、失う前に気づけることもある。
今、そばにいる人たちに、健康でいるという形で向き合っていきたいと思っている。
