自分の人生を、自分で選び直す|50代が気づいた「支配からの卒業」
住宅ローンが残っている。
子どもたちはまだ先がある。
首になったら、どうする。
この不安は、ずっと心のどこかにあった。
ずっと支配されていた感覚
理不尽な上司に何かを言われる度に、感じていた。
給料がなかなか上がらない時、思っていた。
同年代の他の人と比べて少ないと気づいた時、焦った。
会社に貢献していると思っていた。
でも評価されていなかった。
どうにかよくしたいと思って行動した。
意見した。
でも一人だけ熱くなって、周りがついてこない。
会社の熱量と自分の熱量に、隔たりがあった。
また我慢した。
なんで俺だけ、と思った。
それでも、辞める勇気がなかった。
転職したら、もっと条件が悪くなるかもしれない。
その恐怖が、足を止めた。
そこに住宅ローンという重い足枷が加わった。
PCでいうところのバックグラウンドで動き続けるシステム負荷みたいなものだ。
目に見えないけど、ずっとそこにある。
常に支配されている感覚。
だから、されたくないという葛藤が生まれていた。
それでも辞めなかった理由
それでも、辞めなかった理由がある。
選手と向き合う時間だけは、違った。
体の異変に気づく。
問題を解決する。
選手が成長していく。
その瞬間だけは、評価とか給料とか関係なかった。
支配される毎日の中で、選手への貢献だけが唯一自分でいられる時間だった。
やりがいと幸せ感が、そこにあった。
ある意味、それが自由だった。
だから辞めなかった。
今思えば、その感覚は正しかったと思っている。
鎖が外れると気づいた
でも最近、少しずつ変わってきた。
住宅ローンの残高が半分以下になってきた。
妻も働いてくれている。
子どもたちの学業のゴールも見え始めてきた。
システムへの負荷が、少しずつ軽くなってきている。
尾崎の歌じゃないけど、「支配からの卒業」に向けて、少しずつ鎖を外している感覚がある。
外れるんだ、と気づき始めた。
その気づきが、大きかった。
ブログが「心の拠り所」になった
ブログを始めたのは、副業として稼ぐためだった。
自分の人生を人に支配されたくない。
どこでも仕事できる稼ぎ口を作りたい。
その気持ちが出発点だった。
でも最初、書くことがうまくできなかった。
俺には向いていないと感じていた。
そんな時、AIに思考を言語化してもらった。
あやふやな感覚を言葉にしてもらって、気づいた。
「自分に素直に言葉を発していこう。本物を曝け出していこう。」
そう思えるようになった時、ブログの意味が変わった。
稼ぐための場所じゃない。
自分を整える場所だ。
心の拠り所になった。
時間を費やす価値のある場所になった。
一生続けられるものに変わっていった。
「稼ぐため」と「整えるため」は矛盾しない
ブログで収益を上げている人たちがいる。
SEO対策をして、数字を追いかけて、全振りでやっている人たちだ。
でも自分がやっていることは、そことは少し違う。
本物の言葉を積み上げること。
自分を整えながら書いた記事が、読者に届く。
届いた言葉が信頼になる。
信頼が積み重なって、初めて収益に繋がる。
「自分を整える」は、遠回りじゃない。
本物を作るための最短ルートだと思っている。
稼ぐためにやろうとしていたのに、自分を整える場になった。
矛盾しているように見えて、今はその矛盾が心地いい。
支配からの卒業は、一気には起きない
今振り返ると、「支配されたくない」という感情は、自分が誰かの評価に依存していたから生まれていた気がする。
その依存を少しずつ手放していくこと。
自分の言葉で何かを残していくこと。
それが今の自分にできる「支配からの卒業」への一歩だ。
完全に鎖が外れたわけじゃない。
まだバックグラウンドで動いているシステム負荷はある。
でも確実に軽くなってきている。
鎖は、外れる。
その感覚を、今初めて実感している。
じゃあ、その先に何を目指しているのか。
難しい答えは持っていない。
自分の人生の幸せを感じて、楽しく生きていくこと。
ただ、それだけだ。
そのためにブログを書いている。
そのために今日もキーボードを叩いている。
「支配からの卒業」とは、大げさなことじゃない。
自分の幸せを、自分で選ぶことだと思っている。

