趣味を作らなきゃと思っていた|50代が気づいた、趣味の本当の役割
老後、時間が有り余った時に何もすることがなかったら。
生活にハリがなくなって、家でゴロゴロしていたら。
妻に邪魔扱いされて、ギクシャクして——。
テレビでもよく見るネタだ。
笑えない話として。
50代になって、その「笑えなさ」が少しリアルに感じるようになってきた。
趣味を作らなきゃと焦っていた
趣味を持たなければ、という焦りがあった。
ゲームをやってみた。
アニメを見た。
映画も見た。
でもどこか、時間を浪費している感覚がぬぐえなかった。
ゴロゴロしている延長みたいな、見た目も悪いし、自分しか楽しんでいない。
他から見ると「ただ携帯を見ているだけ」という構図だ。
俗にいう、ゴロゴロ寝ている不健康なおっさんの休日。(笑)
しかも家族からすると、ゲームをしている姿は時間の浪費にしか見えないらしい。
「ゲームするくらいなら家の手伝いをしてよ」という空気になる。
ゲームの途中でやめられない場面では、頼まれたことをすぐにできなかったりもする。
ゲームをあまりしない人にとって、ゲームはただの浪費でしかない。
家族の目線で見ると、それは趣味ですらなかった。
趣味を「作らなきゃ」と思って始めたものは、どれも長続きしなかった。
義務感から始めたものは、義務感のまま終わっていった。
趣味のハードルを下げた
気づいたのは、「趣味=特別なもの」という思い込みだった。
園芸=趣味、カメラ=趣味。
そういうイメージがあると、始めるハードルが高くなる。
でも、続けていることが趣味になっていくでいいんじゃないか。
そう考えるようになってから、見え方が変わった。
「作るもの」ではなく「育つもの」だと気づいた。
ブログを書いている。
トレーニングをしている。
本を読んでいる。
気づいたら、それが趣味になっていた。
積み重ねた先に、それは自分にとって価値ある、かけがえのないものに育っていく。
時間をかけるからこそ、それが自分の一部となっていく。
それがある意味、趣味というものかもしれない。
日常に小さな刺激を入れるようになった
続けることと同時に、新しいことにも目を向けるようになった。
40代までは、通勤する道すら毎日同じだった。
どちらかというとミニマリスト的な思考で、変化よりも効率を優先していた。
今は少し違う。
行ったことないジムの店舗に行ってみる。
食べたことないものをオーダーしてみる。
やったことないことにチャレンジしてみる。
たとえば先日、トレーニング後にスーパーでサラダチキンと塩おにぎりを買って食べた。
以前なら、豚カツ弁当くらいしっかり食べないとお昼を食べた気がしなかった。
でもプロテインと炭水化物の組み合わせは、意外なほど満足感が高かった。
「体最優先で取る食事」という思考が、その価値を高めてくれた。
値段や見た目よりも、自分にとっての価値が高いものを選ぶ。
その判断基準を見つける作業が、小さな刺激になっている。
色々やってみる中で、続いていくものが趣味になる。
そのマインドになってから、チャレンジすること自体が楽しくなってきた。
老後への不安が薄れてきた理由
40代までは、仕事がなくなったらやることがなくなると思っていた。
今は違う。
自分自身の軸にはブログ・トレーニング・食事・健康がある。
家族の軸には妻との旅行や過ごし方がある。
仕事も、細くてもいいから続けていけたらという感覚になってきた。
軸が変わる、増える、枝葉が増える。
そう考えると、老後の時間はむしろ楽しみになってきた。
「趣味を作らなきゃ」と焦っていた頃とは、気持ちの向きが違う。
今は、続いていくものが自然と増えていくのを待てるようになった気がする。
余白の使い方については、余白が、他の時間を引き立てたにも書いている。
