スマホの使い方が、変わった|50代が気づいた、時間と意識の取り戻し方
スマホの使い方を、意識的に変えようとしたわけじゃない。
気づいたら、変わっていた。
スマホが、生活に侵食していた
以前は、ゲームをよくやっていた。
オンラインの戦略系で、一緒に動く仲間もいた。
最初は純粋に楽しかった。
でもいつの頃からか、楽しいのかどうかよくわからなくなっていた。
義務感、というのが近い。
ログインしなければいけない。
仲間に迷惑をかけてはいけない。
チームの中で役割があって、頼られている感覚もあった。
それがやめられない理由になっていた。
気づけば「やりたいからやる」ではなく、「やらなければいけないからやる」に変わっていた。
睡眠を削って、脳のリソースまで渡していた
ひどい時は、睡眠を削ってやっていた。
1日4〜5時間。休みの日はほぼ一日中。
寝る直前までスマホを握って、画面を見続けてから眠る。
当然、睡眠の質も低かった。
朝起きた瞬間から、頭がすっきりしない日が続いていた。
時間だけじゃなかった。
脳のリソースまで持っていかれていた。
スマホを持ち歩くから、移動中も、隙間時間も、ゲームの状況が気になる。
少し時間ができると画面を開いて、状況を確認する。
意識の一部が、常にゲームに向いている状態だった。
今思えば、中毒に近かったと思う。
生活の中にゲームが侵食していた、という表現の方が正確かもしれない。
家族から「ゲームばっかり」と言われても、やめられなかった。
長く続けてきた。
少し課金もしていた。
やめたら、それが全部無駄になる気がした。
後ろめたさを感じながらも、もったいなくてやめられない——そういう状態だった。
転機は、意志力じゃなかった
それが、ある日あっさり変わった。
仕事で新しくやるべきことが生まれた。
ブログを始めた。
時間を費やしたいものが、別のところにできた。
その瞬間、ゲームから自然と手が離れた。
「やめよう」と決めたわけじゃない。
優先順位が、静かに入れ替わっただけだった。
その時間は、睡眠になった。
ブログになった。
読書になった。
トレーニングになった。
余白の時間になった。
4〜5時間が、全部そっちに流れていった。
考えてみれば、ゲームの中でもレベルを上げていた。
キャラクターを強くして、チームに貢献して、成長させていく作業が、どこか心地よかったのだと思う。
その成長させるエネルギーが、いつの頃からかリアルの自分に向き始めた。
トレーニングで体を整える。
ブログで思考を言語化する。
自分自身をレベルアップさせることに、本当の満足感を感じるようになっていた。
時間を費やす対象が、自分自身の本当の成長に変わった。
だから、あっさり変わったのかもしれない。
情報も、選ぶようになった
変わったのは、ゲームだけじゃなかった。
ニュースの見方も、気づけば変わっていた。
芸能ニュース、世の中の出来事、ネガティブな情報——聞いたところで、自分自身は何も変わらない。
そこから何かを学べるわけでも、幸福感が得られるわけでもない。
それに気づいてから、なんとなく流し読みする時間がほぼなくなった。
不幸な出来事をわざわざ知る必要もない。
余計な心配や、考えなくていいことで脳のリソースを使いたくなかった。テレビも同じだった。
なんとなくつけて、なんとなく見ていたものが、いつの間にかなくなっていた。
スマホは、余白をうまく使うための道具になった
ゲームも、ニュースも、テレビも——共通していたのは、自分で選んでいなかったということだ。
今は、見たいものを選んで見る。
Youtubeも、アニメも、「これが見たい」と思った時だけ手を伸ばす。
バラエティーが見たければ、隙間時間にYoutubeで探す。
自分で選択して、時間を使う。スマホが、余白をうまく使うための道具に変わっていた。
時間は、奪われていたんじゃなかった。
自分が渡していた。
50代になって思う。
時間の使い方は、自分の優先順位の写し鏡だ。
何に時間を渡しているかを見れば、今の自分が何を大切にしているかがわかる。
ゲームをやめたのは、ゲームが悪かったからじゃない。
もっと大切にしたいものが、見つかったからだ。
