甘やかしてきたツケが、妻に回ってきた|50代が気づいた、家族で荷物を分け合う暮らし

バマ

家族の荷物は、二人だけで持ち続けられるものじゃなかった。

高校生になった子供に、少しずつ家事を任せ始めた

子供たちが高校生になった頃から、少しずつ家事を任せるようになった。

いずれ一人暮らしをすることになる。
その時に家事の負担がどれほどのものか、身をもって知っておいてほしい。そう思っての判断だった。

トイレ掃除、風呂掃除、自分のお弁当作り、食事の食器の用意。
俺自身も家事を手伝う側だから、その延長で協力してもらう感覚に近い。
たまに妻と一緒に夕食を作る、ということもやっている。

でも、やる時とやらない時がある

任せてはみたものの、続かないことも多い。

携帯をいじっている方が忙しくて、食事の時間になっても動かない。
トイレ掃除も風呂掃除も、頼んだ日はやるけど、次の日は忘れている。
声をかければやる。
かけなければ、やらない。
結局そこに戻ってしまう。

まだ子供だから、仕方ない部分はある。
相手が助かることをすると、後で自分に返ってくるという感覚が、まだ薄いんだと思う。
家事が大変だという認識も、正直まだ足りていない。

その「甘やかし」が、妻の負担増につながっていた

続かなくても、まあいいか。
そう思って流してきた部分が、ある意味、甘やかしだったんだと気づいた。

その甘やかしのツケは、結局、妻のところに回っていた

子供がやらなかった分は、誰かがやる。
それは大抵、妻だった。
仕事、子育てのサポート、家事。
自分たちの体力が落ちていく時期に、その負担だけが増え続けていた。
先日、妻が体調を崩したのも、根っこをたどればここに繋がっている気がしている。

大黒柱は、二人だけじゃ支えられない

自分たちの体力は、今までのようには続かない。

それなのに、荷物の配分は、若い頃のままだった。
大黒柱を二人だけで支え続けようとすれば、いずれどこかが揺らぐ。
生活の基盤そのものが不安定になる。

家事を家族全員の「荷物」として分け合っていかないと、支えきれない時期に来ているんだと思う。
子供に任せることは、手を抜くことじゃなくて、家族という単位を整え直す作業なんだと、今は捉えている。

家族という余白は、当たり前じゃない

家族は、わがままを何でも聞いてくれる場所じゃない。
それを、今のうちに知っておいてほしいと思っている。

成長するほど、家族の外との関係が広がっていく。
友達、部活、いずれは仕事の付き合い。
やりたいことも増えて、時間の使い方も、家族の都合とはずれていく。

その時に必要になるのは、自分の都合を押し付ける力じゃなくて、周りと調整する力だ。
自分は自分を中心に回っているんじゃなくて、いろんな人との調整の中で動いている。
それに気づくのが早いほど、社会に出た時の負担は小さくなる。

家族だから、わがままを聞いてもらえる。
そのスタンスのまま大人になると、いつか家族という余白がなくなった時に、調整の仕方がわからなくなる。
誰も無理を聞いてくれなくなった瞬間に、自分一人で無理をするしかなくなる。

だから、荷物を増やすなら、自分でその荷物を背負う覚悟を持ってほしい。
生活習慣も、行動範囲も、時間の使い方も。
家族という余白をうまく使いながら、社会に合わせていく練習を、今の学生生活のうちにしておいてほしいと思っている。

自分自身、20代でアメリカに留学していた時期がある。
裕福な家じゃなかったのに、両親は自分たちの時間や楽しみを削って、仕送りを送り続けてくれていた。
その思いに気づいた時、この時間を絶対に無駄にできないと思った。
恩返しというより、託されたものを次に繋げなきゃいけない、という感覚に近かった。

それに気づけたのは、離れて暮らして、両親の負担を肌で感じる距離にいたからだと思う。
子供たちにも、いつか同じようなきっかけが来るはずだ。
でも、それがいつ、何をきっかけに来るのかは、こっちにはわからない。

わからないから、今できることは、行動で示し続けることだけだ。

家族の荷物を分け合うことは、単なる家事の話じゃない
家族という余白の中で、社会と付き合うための調整力を身につける、暮らしのアジャストなんだと思っている。

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ABOUT ME
バマ
バマ
50代の再チャレンジャー
アスレティックトレーナー/トレーニングコーチ。 プロとアマチュア、両方の現場で四半世紀以上、選手と向き合ってきた。 50代になって気づいた。自分を一番蔑ろにしていたのは、自分自身だった。 体を整え、思考を整え、暮らしを整え、そして自分を整える。 守りから、前へ。
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