自分だけ整えても、意味がなかった|50代が気づいた、妻の生活を整えるという課題
自分がどれだけ体を整えても、隣にいる人が整っていなければ、意味がなかった。
出張先で届いた、妻からのLINE
出張先のホテルで、スマホが震えた。
妻からのLINEだった。
仕事中に体調を崩して、今は家で横になっている、という短い文章。
驚きはしなかった。
むしろ、「案の定」という感覚のほうが強かった。
このところ、肩こりがひどいと言っていた。
夏の暑さの中でも、朝は早く起きて、夜は子供たちの世話が終わるまで動き続けている。
体力面での衰えは、ここ最近、そばで見ていて薄々感じていた。
それでも出張先にいる自分にできることは、電話で話を聞くことと、思いつく範囲でアドバイスすることだけだった。
近くにいてやれない距離が、いつもより重く感じた夜だった。
自分だけ整えても、意味がなかった
自分自身は、この数年、睡眠・食事・運動を見直してから、体調がずっと安定している。
今年の夏の暑さも、思っていたよりうまく乗り越えられている実感がある。
でも、その安心感の中で、ふと気づいてしまった。
自分がどれだけ体を整えても。
隣にいる妻が整っていなければ。
家庭としての幸福は、成り立たない。
当たり前のことなのに、自分事にしか目が向いていなかった。
四半世紀、選手の体を見る仕事をしてきて、他人の体調管理には人一倍意識を向けてきたはずなのに、一番近くにいる人の変化には、後手に回っていた。
若さでカバーできていた頃とは、もう違う
妻は40代半ばに差しかかった。
仕事をしながら、子育てのサポートもこなし、家事もこなす。以前なら、多少無理をしても若さと勢いでなんとかなっていた。
でも、その帳尻合わせがきかなくなってきている時期に来ているんだと思う。
肩こり、疲れやすさ、不調を訴える頻度が増えてきた実感がある。
生理周期の変化や、いわゆる更年期と呼ばれる時期特有の体の揺らぎも、これから本格的に向き合っていくテーマになるかもしれない。
自分が体力の衰えを「アラート」として受け止めてきたように、妻の体にも、同じようにアラートが出始めているんだと感じている。
自分がやってきたことを、妻がやれる形に再設計する
自分の中で健康を整えるためにやってきたことは、いくつかある。
それをそのまま押し付けるんじゃなくて、妻が無理なく続けられる形に組み直す作業が必要だと思っている。
食事は、忙しさを理由にインスタント食品に頼りがちだった部分を、少しずつ見直す。
子供たちも大きくなってきたので、自分でできることは自分でやってもらい、家事の分担を増やして、妻の負担そのものを減らす。
睡眠時間を確保できるよう、早寝早起きのリズムを整える。
運動はあまり得意なタイプではないから、無理のない範囲で、少しずつでも体を動かす習慣を作る。
そして、体の不調や更年期の可能性については、かかりつけの内科や婦人科での定期的な診察を通じて、必要に応じて漢方などのセルフメディケーションも選択肢に入れてもらう。
これは、自分がこの数年で積み重ねてきた健康習慣を、そっくりそのまま当てはめるんじゃなくて、妻というもう一人の人間の生活に合わせて、もう一度設計し直す作業なんだと思う。
二人揃って、初めて幸福な生活になる
自分の健康は、自分だけのものじゃない。
今回、妻の不調をきっかけに、そのことをあらためて突きつけられた気がする。
50代になって、自分自身を整えることにようやく本気で向き合えるようになった。
でも、その先には、隣にいる人の生活も、同じ重さで考えていくという課題がある。
自分と妻、二人が揃って初めて、家庭としての幸福が成り立つ。
片方だけが整っていても、それは半分でしかない。
出張先から見ていた妻の不調は、自分にとって、暮らしを整えるという課題の輪郭を、もう一段広げるきっかけになった。
