余白が、他の時間を引き立てた|50代が気づいた、忙しさの質と量の話

バマ

時間に追われている感覚があった。

でも以前とは違う。
仕事だけに追われているわけじゃない。
自分のための時間も、家族との時間も、ちゃんと使っている。
それなのに、なんか忙しい。
生き急いでいるような感覚があった。

何かが違う、と思った。

忙しくしていることに、価値を感じていた

20代・30代の頃、忙しいことは美徳だった。
寝る間も惜しんで動いている。
予定が詰まっている。
それ自体に、充実感があった。

休みの日も同じだった。
せっかくの休みだからとトレーニングをして、用事を済ませて、あっという間に消費していた。
何もしていない時間は、もったいないと感じていた。
時間があれば読書しよう。
予定が空いていると、なんとなく焦った。

時間を使っていること=頑張っている証拠。
そういう感覚だったと思う。

でも50代になって、その感覚が変わった。
忙しければいいわけじゃない。
何に時間を使っているかの方が、ずっと大事だと気づいた。
思考と体の疲労を回復させる時間も、立派な時間の使い方だと思うようになった。
そして、余白というスパイスに時間を使うことの価値にも、気がついてきた。

3軸で時間を使うようになって、忙しさの質が変わった

今は仕事・家族・自分、この3軸で時間を設計している

仕事だけじゃない。
家族との何気ない時間も、自分のためのトレーニングやブログも、ちゃんとスケジュールに入れる。
どれか1つに偏らず、3つすべてに時間を使う。

その結果、時間の質は確実に上がった。
以前よりずっといい時間を過ごしていると思う。
仕事がうまくいかない日でも、他の2軸で支えられる。
1本がマイナスでも、全体が崩れない。

忙しさの質が、2段階くらい上がった。
それは確かだ。

でも、時間に追われている感覚は変わらなかった

ところが気づいたことがある。

3軸で時間を使うようになっても、「時間がない」という感覚が消えなかった。
質のいい忙しさに変わったのに、忙しさの量は変わっていない。
むしろ、スケジュールが3方向に詰まっていく分、余白がなくなっていった。

3軸すべてが充実しているはずなのに、どこかで息が切れている感覚があった。
いい食事ばかり続くと、何を食べても感動しなくなるのと似ている。
充実した時間も、余白がないと、その充実感が薄れていく。

いい時間の使い方をしているはずなのに、時間に追われている。
やることが増えて、こなすことに必死になっている。
そのうち、自分で選んだはずのことが、義務感に変わりつつあった

やることが「義務感」になった瞬間、立ち止まった

トレーニングをしようと思った時、ふと気づいた。

「時間があるからトレーニングしよう」じゃなくて、「やらなきゃ」になっていた。
ギリギリの時間でも無理やりこなそうとしていた。
それって、以前の「忙しさを詰め込んでいた頃」と、何が違うんだろう。

ここは、ぼーっと過ごしていい。

そう思えた瞬間があった。
立ち止まることも、時間の使い方のひとつだと気づいた。
何もしないことが、次の時間を引き立てる。
立ち止まる勇気が、前に進む力になる。

結局、バランスなんだと思う。

余白は、他の時間を引き立てる調味料だった

出張先で、夜にカロリーを気にしながら、でもせっかくだからと味噌カツを食べた。

罪悪感があった。
でも同時に、背徳感もあった。
その背徳感が、妙に心地よかった。

これが余白なんだと思う。
ちょっと遠回りしても、1歩下がってもいい。
ストイックに3軸を守り続けることが目的じゃない。
その中に、ふっと力を抜く瞬間があるから、他の時間が引き立つ。

調味料は、料理の主役じゃない。
でも、ないと物足りない。
余白もそういうものだと思っている。

忙しさの質を上げることと、余白を作ること。
その両方があって、はじめてバランスが取れる。
50代の時間の使い方は、まだ更新中だ。

時間の価値に気づいた日|50代が変えた24時間の使い方

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ABOUT ME
バマ
バマ
50代の再チャレンジャー
アスレティックトレーナー/トレーニングコーチ。 プロとアマチュア、両方の現場で25年以上、選手と向き合ってきた。 50代になって気づいた。自分を一番蔑ろにしていたのは、自分自身だった。 体を整え、思考を整え、暮らしを整え、そして自分を整える。 守りから、前へ。
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