カーテンを開けた瞬間、心が動いた|50代が気づいた、風景という贅沢
緑豊かな山が、飛び込んできた
今泊まっているホテルの部屋は、日差しを抑えるためにカーテンが閉まっていた。
日差しを入れようとカーテンを開けた瞬間、目の前に緑豊かな山が飛び込んできた。
子供の頃、夏休みに遊びに行った里山の雰囲気を思い出すような風景だった。
木々の緑が濃くて、夏の湿った空気ごと、景色が飛び込んでくる感じがした。
セミの声までは聞こえなかったけれど、鳴いていてもおかしくない、そんな空気感だった。
特別なことは何もしていない。
ただカーテンを開けただけなのに、それだけで心がふっと軽くなった。
海が見えたホテルでも、同じ感覚
以前、南国のリゾート地のホテルに泊まった時も、似たような感覚があった。
窓の外に海が広がっていて、朝起きてカーテンを開けるたびに、その青さに少し驚いた。
波の音までは聞こえなくても、視界いっぱいに海が広がっているだけで、気持ちが落ち着いていった。
リゾート感というより、ただそこに海があるという事実そのものが、安らぎになっていた気がする。
移動続きの疲れがある時ほど、こういう景色は効く。
写真とは違う、五感の深さ
風景は、写真で見るのとは、やっぱり違う。
写真は切り取られた一瞬だけど、実際にそこにいると、風が肌に触れたり、鳥の声が聞こえたり、空気の湿り気を感じたりする。
五感全部で受け取るから、心に入ってくる深さが違うんだと思う。
若い頃は、景色なんてただの背景くらいにしか思っていなかった気がする。
移動中も、次の予定のことで頭がいっぱいで、窓の外を眺める余裕すらなかった。
今は、その景色一つで気分が変わることを、素直に実感している。
これは、感受性が豊かになったというより、単純に立ち止まる時間ができたということなのかもしれない。
忙しさの質は変わっていないはずなのに、景色に気づく余白だけは、確実に増えている気がする。
数字にならないからこそのリセット
仕事柄、普段は人の体や動きばかりを見ている。
効率や成果に繋がるかどうかで、物事を判断する癖がついている。
そんな自分にとって、数字にも成果にもならない景色にただ見とれる時間は、逆に貴重なリセットになっているのかもしれない。
移動の多い仕事をしていると、ホテルの部屋はただの寝る場所になりがちだ。
効率よく体を休めて、次の日に備える。
それだけの場所として扱ってきた期間が長い。
でも、こうしてふとカーテンを開けた瞬間に、思いがけない景色に出会うことがある。
その一瞬が、移動続きの疲れを、静かにほどいてくれる。
今この瞬間を味わうということ
考えてみると、これも今日書いた「損得勘定を手放す」話と、どこか繋がっている気がする。
景色を眺めることに、何か生産的な意味があるわけじゃない。
それでも、心が動く。
役に立つかどうかじゃなく、心が動くかどうかを、素直に大事にできるようになってきたんだと思う。
写真を撮って残すこともできるけど、その瞬間にそこにいて、空気ごと感じることには、写真では置き換えられない価値がある。
あとで見返す記録としての価値と、今この瞬間を味わう価値は、似ているようで別物なんだと思う。
自然を生で見ると、人工物にはない、生命力のようなものを感じる。
何かエネルギーをもらっているような感覚すらある。
今までは、あまりそんなふうに感じたことはなかった。
山がそこにあること、夏が暑いこと。
当たり前すぎて、意識にすら上らなかったことが、実は人生に彩りを与えていたんだと思う。
もっとも、これは受け取る側の心の状態にもよるのかもしれない。
それでも、日常の中に立ち止まる余白を持てるようになったことは、自分でも少し誇らしく思う。
人生の楽しみ方を、また一つ知れた気がする。
こういう景色との出会いを、これからも大事にしていきたいと思う。
特別な旅行じゃなくても、日常の移動の中に、ちゃんと心を豊かにする瞬間は転がっている。
カーテンを開けるという、それだけの行為の中にも。
