手がかかると思っていたら、手をかけさせてもらっていた|50代が気づいた、子供という存在の大きさ

バマ

渋々、駅まで迎えに行った

先日、仕事から遅い時間に帰ってきた。
ようやく一息ついたところで、娘から連絡が来た。
友達とご飯を食べていて遅くなるから、駅まで迎えに来てほしいという。

車で十五分。
距離としては大したことはない。
ただ、その日の自分にとっては、その十五分が重かった。

正直、渋々だった。
それでも鍵を持って、車に乗った。

駅前で拾うと、相変わらず調子のいい声で「ありがとう」と言ってくる。
こちらの疲れなど、たぶん一ミリも想像していない。

車の中の十五分が、貴重だった

ただ、帰りの車の中で、少し違うことを考えていた。

家にいると、娘と二人きりで話す機会はほとんどない。
同じ屋根の下にいても、それぞれの部屋があって、それぞれの時間が流れている。
会話は必要なことだけで終わる。

車の中は違う。
逃げ場がない代わりに、間が生まれる。
今日は誰と食べたのか、何を話したのか。
聞くつもりもなく聞いていると、娘の日常が少しだけ見えてくる。

渋々出かけたはずの十五分が、家の中では手に入らない時間になっていた。

面倒だと思う気持ちは、今も消えていない。
それでも、この時間は悪くないと最近は思えるようになった。

家を空けている間に、届くもの

仕事柄、家を空けることが多い。
その間、家族のやり取りは画面越しにしか見えない。

子供たちが友達とご飯を食べている写真が上がってくる。
どこかに出かけている動画が流れてくる。
妻に迎えを頼んでいるやり取りが、そのまま流れてくることもある。

そこに「食べ過ぎ!」と一言入れてみる。
「いいね」だけ返すこともある。
返ってくる反応を見るのが、何気なく面白い。

離れていても、家の中で何が起きているのかが、少しだけ見える。
それだけのことなのに、悪くない感覚だった。

仕事しかなかった頃、老後が怖かった

昔は、生活の中心が仕事だった。
それ以外の時間は、疲れもあって、なんとなく過ごしていた。

その頃、漠然とした不安があった。
このまま仕事がなくなったら、自分には何も残らないんじゃないか。
やることがなくなった時間を、どうやって埋めるのか。
老後を考えると、そこが一番怖かった。

今は、その不安が薄れている。
外からきっかけをくれる存在がいると、自分で何かを起こさなくても、予定の方が勝手に埋まっていく。

迎えに行く。
連絡に返す。
頼まれごとを片付ける。
ひとつひとつは面倒でも、それが積み重なると、忙しいけれど暇ではない時間になる。

自分から動くのが得意な人なら、こういう存在は必要ないのかもしれない。
でも、自分はそうではなかった。

してあげていたのではなく、してもらっていた

ずっと、方向を逆に見ていたのだと思う。

親だから、子供のために何かしてあげる。
時間を使い、手をかけ、こちらが与える側だと思っていた。
子育ては大変だとか、まだ面倒をみないといけないのかとか、そういう言葉が先に出てきた。

でも実際は違った。
子供たちの方が、自分に行動する理由をくれていた。

頼まれれば動く。
動けば、誰かの役に立つ。
あの調子のいい「ありがとう」でさえ、言われれば効いてしまう。
それが身内となれば、なおさらだ。

自分の存在価値を確認する場を、こちらが与えてもらっていた。
手がかかると思っていたものは、手をかけさせてもらっていたものだった。
五十代になって、やっとその見え方になった。

巣立ちは、あと数年

とはいえ、この構造はいつまでも続かない。
子供たちが家を出るのは、たぶんあと数年の話だ。

その時、外からきっかけをくれる存在はいなくなる。
同じものを別のどこかに作れるとは思っていない。
子供の代わりになるものなど、そう簡単には見つからないだろう。

それでも、探しておく必要はある。
誰かのために動くこと。
頼まれること。
反応が返ってくること。
そういう要素を含んだ何かを、今のうちから少しずつ育てておく。

妻との時間も、たぶん同じ話なのだと思う。
子供が抜けた後、その時間は自然に埋まるものではなくなる。
これも、育てていくものになる。

いなくなってから気づくのではなく、まだいるうちに気づけた。
だとしたら、今から穴を埋める何かを育てておくことが、たぶん自分にできる準備なのだと思う。

答えはまだ出ていない。
ただ、老後の時間を有意義にするための材料が、実は今の暮らしの中にずっとあったことだけは分かってきた。


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ABOUT ME
バマ
バマ
50代の再チャレンジャー
アスレティックトレーナー/トレーニングコーチ。 プロとアマチュア、両方の現場で四半世紀以上、選手と向き合ってきた。 50代になって気づいた。自分を一番蔑ろにしていたのは、自分自身だった。 体を整え、思考を整え、暮らしを整え、そして自分を整える。 守りから、前へ。
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