お金の使い方が変わった|50代が手に入れた、幸福に投資する生き方
節約しているつもりで、見えない恐怖に支配されていた。
隣町のスーパーに、1時間かけて行く意味
YouTubeである話を聞いた。
隣町のスーパーの特売に、1時間かけて行く。
300円安いお肉を買って帰ってくる。
でもその人の時間単価が300円以上なら、その買い物は損だ——という話だった。
最初は正直、ピンとこなかった。
「仕事していないんだから、時間単価なんてないでしょ」
「300円浮くなら、その方が得じゃないか」
そう思いながら聞いていた。
でも、頭のどこかに引っかかっていた。
「得した」のに、なぜか満足感が薄い
思い返すと、心当たりがあった。
リッター5円安いからと、遠くのガソリンスタンドまで給油しに行く。
40リットル入れて、浮くのは200円。
得したはずなのに、なんか微妙な感じがする。
わざわざ遠くまで行ったのに、という感覚がどこかに残る。
光熱費を下げようと、夏の暑さを我慢する。
冬の寒さを我慢する。
月2,000円安くなっても、体への負担は確実に積み上がっていく。
節約しているようで、何かを失っている感覚が、ずっとあった。
節約の正体は、恐怖への対策だった
なぜ節約にこだわっていたのか。
毎月予算管理をしても、収入と支出がトントンで貯蓄ができない時期があった。
老後2000万円問題、住宅ローンが返せなくなった家族の話、仕事を失ったらどうなるか——そういう話が頭の中をぐるぐるしていた。
家族を路頭に迷わせたくない。
悲しませたくない。
その不安が、常にそこにあった。
だから節約しようとやりくりする。
でも家族に不安な顔は見せたくないから、外食もするしスイーツも買う。
結局トントンに戻る。
30代後半から40代、ずっとその繰り返しだった。
もう一つ、正直に言うと、見栄もあった。
年齢も上、給料も後輩より多い。
だから飲みに誘って奢る。
気前よく振る舞う。
昔、先輩にそうしてもらったから、自分も同じようにする。
その気持ちに後悔はない。
でも、余裕の中からではなかった。
家族のために使った方がいいんじゃないか——そんな後ろめたさを抱えながら、それでも奢っていた。
極めつけは、車だった。
予算よりも高い車を買った。
最後のご褒美だと思った。
仕事を頑張る口実にもなると思った。
今までの自分へのご褒美だから、いいだろうと。
でも正直に言えば、見栄もあったし、ストレス発散という意味もあった。
高揚感は、1年も持たなかった。
物欲は、手に入れた瞬間に一気に下がる。
買うまでの期間が一番楽しくて、手に入れるとその熱が嘘みたいに冷める。
人生におけるお金の不安があるのに、そこで判断を誤る。
これが40代の消費の正体だったと、今は思う。
そんな40代を経て、50代に入った。
恐怖の正体が、見えてきた
50代になって、少しずつ変わってきた。
子供たちの教育費の先が見えてきた。
住宅ローンも、最悪家を売ればどうにかなるくらいの目処がついてきた。
ずっと霧の中にあった「見えない恐怖」の正体が、少しずつはっきりしてきた。
そしてもう一つ、決定的な出来事があった。
父が癌になった。
もしかしたら、という現実が目の前に来た時、初めて「人生には終わりがある」と頭ではなく体で感じた。
父は今77歳だ。
自分がそこまで生きるとして、残りの時間はどれくらいあるか。
仕事の定年も、おそらく60歳前後だ。
そこまで10年を切った。
時間は、無限じゃなかった。
幸福に投資するという考え方
そう気づいた瞬間から、お金の使い所が変わった。
コンビニのスイーツは、もうご褒美に感じなくなった。
代わりにトレーニング後にプロテインを買う。
値段は気にしない。
筋肉の材料として確実に複利が効く。
トレーニング後30分以内が勝負だから、迷っている場合じゃない。
飲み会もほとんど行かなくなった。
翌日の二日酔い、脂肪の増加、健康へのリスク。
トータルで考えると、いいことがない。
ただ、同僚の愚痴を聞く時は行く。
その時のお金は「同僚へのギフト」だと割り切っている。
目的が何かで、判断が変わる。
それだけの話だ。
食事も変わった。
子供たちが小さい頃は、ファミレスや食べ放題によく行った。
すぐ出てくる、安い、元を取れる。
それが外食の基準だった。
今は少し高めのイタリアンレストランに行く。
家族と会話しながら、ゆっくり食事をする。
時間制限もない。
元を取ろうとする必要もない。
食べる満足より、いい時間を過ごすことにお金を使うようになった。
お金持ちになりたいわけじゃない。
家族含めて幸福に人生を送ることが目的だ。
そこに必要以上のお金はいらない。
健康・自己投資・思い出づくり——複利の効くものに使う。
その方が、同じ予算でずっと豊かになれる。
人生に間違いはある。
後悔もある。
大切なのは、それに気づいて前へ進めるかどうかだと思っている。
あの時の車の判断が取り返しのつかないレベルだったら、今頃どうなっていたかわからない。
だからこそ、買った以上は大切に乗り続ける。
11年目になる今も、目指すは20年だ。
乗り続けることで、一台あたりの単価が下がる。
後悔も、少しずつ薄まっていく。
過去は変えられない。
でも、今の思考は変えられる。
「あの時こうすればよかった」ではなく、「今からどうするか」に素早く切り替えられるか。
それが、幸福感を上げていく唯一の鍵だと思っている。
今朝もトレーニングを終えた後、プロテインを飲んだ。
遠くのガソリンスタンドには、もう行かない。

