がむしゃらより、意図|50代が気づいた、頑張り方にも年相応がある
50代の頑張り方には、20代・30代とは違う形があるんじゃないか。
トレーニング場でのある光景から、そんなことを考えさせられた。
隣で頑張っていた男
トレーニング場でのことだ。
同世代くらいの男が三人、たまたま同じ時間に体を動かしていた。
俺もその一人だった。
そのうちの一人が、明らかに俺を意識していた。
隣のマシンで、結構重い錘を持ってやっていた。
表情はきつそうで、フォームも途中から崩れていた。
セット間の休憩も短く、次から次へと種目を変えていて、メニューにも一貫性がなくて、その場の思いつきに見えた。
俺の方がすごいんだぞ、という空気がにじんでいた。
正直、無理してるな、と思った。
でも、その気持ちには覚えがあった。
意識してるのは、50代だけ
重いものを持って追い込んでいると、周りが「すごい」と思ってくれる。
20代・30代にまだまだ負けないぞ、という証明にもなる。
その計算、自分の中にも少なからずある。
認めたくないけど、ある。
でも、その場をよく見ると、肝心の20代・30代は、案外マイペースでやっていた。
誰かと張り合っている様子はなく、自分のメニューを黙々とこなしているだけだった。
つまり、意識して張り合っているのは、50代のおっさんだけだった。
正直、滑稽に見えた。
相手はこっちのことなんて見ていないのに、一人で勝手に競争して、一人で無理をしている。
重さは目的じゃない
四半世紀、選手の体を見てきて分かったのは、重さは目的じゃないということだ。
50代のトレーニングで本当に大事なのは、しっかり筋肉に効いていること。
フォームが整っていること。
そのメニューを見れば、目的と意図が伝わってくること。
回復力が20代とは違う、と自分の体で感じるようになった。
正しいフォームじゃないまま重さだけを追うと、狙った筋肉には案外効いていない。
だから重さのわりに、体は思うように変わらない。
むしろ普段使わない部分が筋肉痛になり、関節にだけ負担が乗る。
倍率は大きいのに、当たる確率が低い賭けをしているようなものだ。
割に合わない。
20代の頃は、回復力という資金がすぐに貯まった。
多少無茶な賭けをしても、翌日にはまた元手が満タンになっている。
でも50代は、その元手がそう簡単には貯まらない。
だから今の自分は、一発大きく狙うより、複利を利かせる方法を選んでいる。
1セットごとに、どこに効いているかを確認しながらやる。
メニューも思いつきじゃなく、今週はここを重点的に、と決めてから組む。
がむしゃらに重いものを持ち上げるんじゃない。
意図があって、計画があって、その上で時々ちょっとだけ頑張る。
仕事でも、同じことが起きている
これ、多分トレーニングだけの話じゃない。
仕事でも、まだまだ若い奴に負けないぞ、という気持ちが顔を出す時がある。
つい自分の経験や、昔のやり方を持ち出したくなる瞬間がある。
でも、それって独りよがりなんじゃないかと思う。
若い世代は、こっちと張り合ってなんかいない。
それぞれの年代には、それぞれの働き方がある。
時代も状況も変わっているのに、自分だけが昔のやり方や重さにこだわって、勝手に負けたくないと踏ん張っている。
その方が、傍から見ればよっぽど格好悪いんだと思う。
トレーニング場のあの男を見て笑えなかったのは、たぶん自分にも同じ姿が重なったからだ。
50代の答え
張り合う相手なんて、最初からいなかった。
いたのは、勝手に張り合っていた自分だけだった。
トレーニングも、仕事も、プライベートも。
余白を持たずにがむしゃらにやると、他人の目には痛々しく映る。
逆に、意図を持って、ちゃんと余白を残しながらやっている人は、それだけでスマートに見える。
結局、50代というものを正しく理解して、年相応に振る舞うことが、一番スマートなんだと思う。
無理をしない。
でも、手も抜かない。
そのバランスを取るために、思考を整理して、生活を設計する。
地味だけど、それが遠回りに見えて一番の近道だった。
がむしゃらより、意図。比べる相手を探すより、自分のペースで、自分の意図を持ってやる。
それが、無理なく幸せに歳を重ねていく方法なんだと思う。
