まだ、知らないことだらけだった|50代が気づいた、知らないことの豊かさ
大阪に来て、何年になるだろう。
出張で何度も訪れているのに、街をゆっくり歩いたことがほとんどない。そんな話が、昨夜の食事の席で出た。
7人でのお疲れさん会。
後輩が言った。
「大阪にはこんな場所があるんですよ」と。
西成、飛田新地、新世界——聞いたことはあっても、足を踏み入れたことのない場所の話だった。
「一度見ておいた方がいいですよ。
日本にもこんな場所があるって、驚くと思います」
素直に、そう思った。
確かに、知らなかった。
アメリカ帰りが知らなかった、本当の日本
20歳でアメリカに渡り、6年半を過ごした。
帰国してからはこの仕事一筋、25年以上になる。
自分では経験を積んできたつもりだった。
でも振り返ると、知らないことだらけだったと気づく。
帰国直後は特にそうだった。
話したことのない上司や目上の人に、グイグイ話しかけていた。
自分ではチャンスだと思ってこちらのタイミングで踏み込む。
でも相手は「なんだこの人」という顔をする。
アメリカでは、チャンスがあればどんどん行くのが当たり前だった。
でも日本には「場をわきまえる」という空気がある。
それが全然わかっていなかった。
目上の人への言葉遣い、文章の書き方——失敗して初めて気づくことばかりだった。
昔の自分は、海外にしか刺激を求めなかった
若い頃は、日本なんて高が知れていると思っていた。
当時、自分の仕事の分野では日本は海外に遅れをとっていた。
だから知識も経験も、海外に求めた。
それが自分に箔をつけることにもなるし、他の人より一歩前に出られると信じていた。
刺激は外にある。
そう決めていた。
だから昔の自分なら、後輩の話を聞いても引っかかってこなかっただろう。
でも今は違う。
素直に「行ってみたい」と思った。
仕事の流儀も、変わった
生き方だけじゃない。
仕事への向き合い方も変わった。
昔は、これが正しいと思ったらまずやってみた。
自分が正しいと思うことを、そのまま実行する。
それが自分のスタイルだった。
今は違う。
相手が何を考えて、今何を実行しているのかをちゃんと聞く。
その上で、適切なことと自分の思っていることをバランスよく実行する。
前は自分のやりたいことをやっていた。
今は、相手にとって必要だと思えることを、自分ができるのであれば実行する。
そういうマインドになってきた。
瞬発力より、思考が先に働くようになった。
それは衰えではなく、整ってきた証だと思っている。
「知らないこと」にフォーカスが移った
今回、後輩の話が素直に刺さったのも、きっとそういうことだと思う。
昔は「何のために知るか」が先にあった。
仕事に使えるか、自分の武器になるか。
そのフィルターを通してしか、新しいことに興味を持てなかった。
今は違う。
「知らないことを知る」「新たなことを経験する」——それ自体が目的になってきた。
ジャンルじゃなくて、経験することにフォーカスが移った。
だから西成の話が、ちゃんと引っかかった。
場所の話ではなく、まだ見ていない景色への興味として受け取れた。
それが今の自分だと思う。
「まだ無垢」は、ポジティブだ
知らないことだらけ——それをネガティブに捉えていない。
知らないことがあるということは、まだ冒険できる土地が残っているということだ。
開拓していない場所が、日本にたくさんある。
海外に行くのは大変だ。
でも近場に、まだ見ていない景色がある。
知らないことをこの歳までとっておいて、良かったとさえ思っている。
「何のために」ではなく、「ただ知りたいから」で動ける50代になった。
それが、新たなチャレンジへの一番軽やかな入り口だと思っている。
あの夜が、そう教えてくれた。
