結果に揺れなくなった|50代が手に入れた、自分という受け皿
結果の良し悪しで、気持ちがスイングしていた時期があった。
20代の頃、うまく結果を出せた瞬間に「これは簡単だ」と思った次の瞬間に失敗して、落ち込む。
そんなことが繰り返されていた。
全体像が見えていなかったのだと思う。
仕事の流れをわかっていないからこそ、目先の変化に一喜一憂していた。
物事はそう簡単に変わらない。
時間と手間をかけて変えていくからこそ、それが強固なものになっていく。
50代になって、そのことが腑に落ちるようになった。
今は、うまくいく人とそうでない人が混在する中で動いている。
一つの結果にとらわれていたら、何も見えなくなる。
状況に応じた対応をしながら、でも自分の軸は動かさない。
そのバランス感覚が、50代になってようやく身についてきた気がする。
うまくいかない方が、腹が決まる
その変化の根っこには、一つの気づきがある。
たまたまうまくいったことは、長続きしない。
むしろ、徹底的にうまくいかない方が、変化への覚悟が決まる。
腹が据わる。
「本当に変えなければいけない」という実感が、そこから生まれてくる。
うまくいかない現実の方が、人を動かす。
覚悟が決まると、とにかく続けていく。
少々結果が出なくても、根気よく続ける。
変化のプロセスや取り組みは、長いスパンで見ることで本当の流れが見えてくる。
1年くらい見ないと、それが良い変化なのか悪い変化なのか、正確な判断ができないこともある。
そのための時間の投資は、必要だと思っている。
続けるという我慢を克服するための覚悟が、そこには必要だからだ。
だから、結果が出なかった時も、気持ちは特に揺れない。
むしろ「これでより改善への覚悟が決まる」と思えるようになってきた。
万能より、専門でいい
そのスタンスは、仕事の向き合い方にも出てくる。
サバサバしているけど、冷静でいられる。
どんな状況でも、自分のやるべきことを淡々とこなす。
その姿勢が、自分の芯を形成している。
「自分にしか聞けない」「自分じゃないと解決できない」と頼ってもらえる瞬間がある。
職人の技術を評価してもらえるような感覚だ。
時間をかけてきたものが、ちゃんと伝わっている。
違いがわかる人に、その違いを認めてもらえる。
それが自分という存在が、他とは違う形で理解してもらえている、と感じられる瞬間だ。
4種類の具が入ったピザはお得に見える。
でも、ペパロニピザが食べたい人には関係ない。
ファミレスより、ステーキ専門店。
万能より、専門。
それが求められている理由だ。
自分という芯があるから、必要とされる。
自分を何かに合わせて変えようとすると、その「何か」の劣化版にしかならない。
でも、自分という芯を貫いていると、その芯を必要としている人が自然と集まってくる。
波長を出すから、共鳴する人が寄ってくる。
求めてくれる人が、ちゃんといる。
それだけでいい。
淡々とこなせるのは、立ち返れる場所があるから
では、なぜ淡々とこなせるのか。
状況は毎日変わる。
でも、自分の周波数は変わらない。
ラジオのチューニングのように、状況に合わせて微調整しながら動く。
その基準になる周波数だけは、どんな時も動かさない。
それが「自分」だと思っている。
迷った時に立ち返れる場所がある。
それが自分自身だ。
結果の良し悪しに揺れない。
周りの感情に引っ張られない。
それができるのは、「自分というもの」を持ち続けているからだ。
自分という軸があるから、どんな状況でも動ける。
自分という相棒を、好きになる
こんな自分が嫌だと思ったことはある。
出世のために自分を変えるようなことはできなかった。
それはある意味不器用だし、それによって名誉も給与もそれほど上がらなかったのは事実だ。
でも、そこに自分は存在している。
今はそれをポジティブに捉えている。
自分を大切にしていたからこその行動だった、と。
そう思えるようになったのは、50代になって3軸という考え方に気づいて、時間をかける先を自分自身にも向け始めてからだ。
ブログで自分の思考を整理してきたことで、自分というものが少しずつ見えてきた。
なんだかんだで自分の都合で物事を考えて、設計していることを自然としていた。
それが、自分という受け皿を作ってきたのかもしれない。
自分というものを持ち続けることで、何かに迷ってもそこに立ち返ることができる。
自分という相棒を認めること。
好きになること。
結果に揺れないメンタルは、強さから来るのではない。
自分という受け皿を持っているから、揺れなくていい。
自分を好きになることが、一番静かな、一番強いメンタルの土台になる。
