気にかけてもらえなくなったのは、拒絶じゃなかった|50代が気づいた、キャパシティという法則
活躍する選手ほど、周りに人が増えていく
選手が結果を出し始めると、彼に関わりたい人が自然と増えていく。
チーム内での重要度が上がれば、依存する人も、頼る人も増える。
それ自体は当然のことだ。
自分はどちらかというと、「見なくてもいいなら、それに越したことはない」と考えるタイプだ。
彼の心配をしなくてよくなった分、他の若手選手に時間を割く。
そういうスタンスを取っていたら、自然とその選手との距離が少しずつ遠くなっていった。
その選手にとって、自分は「その他大勢」になっていた
距離が空くと、その選手が気にかける相手は、今近くでサポートしてくれる人たちに変わっていく。
その人たちには、名前を呼んで挨拶する。
でも、やや疎遠になった自分に対しては、ただの挨拶で終わる。
それを見て、自分は「その他大勢」というカテゴリーに紛れたんだと感じた。
でも、同じことが自分にも言える。
あまり関わらない選手には、挨拶はするけれど、名前で呼ぶことはないし、すぐに名前が出てこないこともある。
その選手の結果を、正直あまり気にかけていない時もある。
友人が多いほど、一人あたりの深さは薄まるのかもしれない
これは友人関係でも同じだと思う。
友人が多い人は、それだけ気を配れる分、平均的な付き合い方が上手い。
逆に友人が少ない人は、一人ひとりのことを考える時間が増える分、関係が深くなりやすいのかもしれない。
「あいつ、今何してるかな」「連絡してみようかな」とふと思えるのは、その人のことを考えているからだ。
友人が多くなるほど、そう考える相手の割合は、単純に少なくなる。
友人が多い人は、常に誰かからコンタクトが来ている。
そのぶんのエネルギーが、そちらに注がれている状態なんだと思う。
連絡を取っていない兄弟や友人も、悪気なく「その他大勢」に紛れてしまう。
今コンタクトしている人を優先的に考えてしまうのは、自然なことなんだろう。
だからこそ、年賀状みたいに年1回だけでも、その人のことを思い出す習慣は、案外大事なのかもしれない。
……自分はもう年賀状、やめてしまったけれど。
キャパシティは有限で、年齢とともにさらに小さくなる
選手の名前が、以前よりすぐに出てこなくなった。
挨拶する時は、できるだけ先に名前を添えるようにしているけれど、そのスピード感が落ちてきている。
名前が浮かぶ前に、挨拶だけで済ませてしまうことも増えた。
あまり関わりのない裏方の人たちに至っては、名前を聞いたことはあっても、記憶にきちんと残っていないことも多い。
昔は、もっとすぐに思い出せた気がする。
選手の側にも、同じような変化があるのかもしれない。
結果を出すようになるほど、技術に関わる会話や、やるべきことに使う時間が増えていく。
その分、何気ない雑談は自然と減っていく。
それは、より自分の役割に集中するようになった証でもあるし、その人の役割が明確になって、必要な時に必要な会話をする関係に変わっていっただけなのかもしれない。
自分自身も、必要になった時にその人と話す傾向があるから、その感覚は理解できる。
自分自身のキャパシティにも、当然限りがある。
しかも年齢を重ねるほど、そのキャパシティ自体が小さくなっていく。
関わる人が増えても、対応できる総量は増えない。
だからこそ、誰にどれだけ配分するかという優先順位が、否応なく出来上がっていく。
立場によって配分の割合は変わる。それを理解できるかどうかで、相手への見方が変わる
キャパシティの大きさも、配分の割合も、それぞれの立場によって変わる。
それを理解しているかどうかで、相手への見え方はまったく違ってくる。
関わる人数が違えば、一人にかけられる分量も変わるし、今どこに集中しているかによって、同じ人でも扱いが変わる。
それは、その人の人間性の問題ではなく、ただの配分の結果でしかない。
疎遠にされたと感じた時、それを「拒絶された」と受け取るのか、「その人のキャパシティが今、別のところに配分されているだけ」と受け取るのか。
同じ出来事でも、捉え方次第で、抱える感情はだいぶ変わってくる気がする。
今の自分は、後者だと受け止めている。
だとしたら、寂しさを抱えるより、また必要とされる時に、ちゃんと寄り添える自分でいる方がいい。
今はただ、そのための準備をしておくだけだ。
誰にどれだけ気を配れるかを、いちいち考え直してしまうこと自体、50代になって、考えすぎて疲れることが増えたのと、同じ根っこにある気がする。
