たまに道を外れることも、悪くない|50代が見つけた、不完全さとのつきあい方
フィッシュアーモンドを10袋、止まらなかった休日の午後
その日は休日だった。
リビングで一人、YouTubeを見ながらのんびり過ごす、自分だけの時間。
忙しい平日は、こういう誘惑にはそこまで負けない。
でも、ゆったりした時間になると、なぜか心に隙ができる。
タガが外れる、という感覚に近い。
気づけばハマっているフィッシュアーモンドを、小袋で10袋。
「フィッシュだし、体にいいはず」と自分に言い聞かせながら、画面を見ながら手が止まらなかった。
夕方、妻が帰ってきて、お菓子の減りように驚いて聞いてきた。
周りに誰もいなかったし、休日だったし、その時間を思い切り楽しもうとしていただけなんだけど――たまに、そういう衝動に駆られる自分がいる。
満足度は高かったけど、後から罪悪感が来た
食べてる最中は、素直に満たされていた。
その日は特に美味しく感じて、何かを口に入れたい、量でしっかり満たされたい、という欲求が強かった気がする。
あの衝動は、抑えようとするより受け止めた方が早い時がある。
ただ、さすがに10袋分の小袋の山を目の前にした時は、「食べすぎたな」という自覚と同時に、「これくらい食べないと満足できなかったのか」と、自分の欲求の強さに感心させられた部分もあった。
振り返ると、ちょっとストレスが溜まっていたのかもしれない。
夜更かしのアニメも、やめられない稀な夜がある
睡眠が優先だとわかっている。
それでも「あと少しだけ」のつもりが、気づけば時間の言い訳を重ねている自分がいる。
9時に寝れば5時起きで8時間。
10時でも7時間は確保できる。
11時でも、6時に起きれば7時間は取れる――そうやって基準をずらしながら、結局12時近くまで見てしまい、翌朝は6時起きで寝不足、ということが、ごく稀にまだある。
ビールは、実は自分のための贅沢じゃなかった
制限していたビールも、最近たまに飲むようになった。
時間を置くと美味しさが増す気がして、たまに飲むぶんには悪くないと思う。
でも正直に言うと、次の日の体調や体重増加という代償を考えると、自分にとっての満足度はそこまで高くない。
それでも飲むのは、部下との時間を大事にしたいからだ。
ある意味、自己犠牲の部分がある。
その自己犠牲の割合が、以前に比べてだいぶ減ってきている。
自分軸が少しずつ増えてきたことで、無理して差し出す部分が、自然と小さくなってきたんだと思う。
でも、大枠のリズムは崩れていない
それでも、体重や体脂肪は半月に一回、測るようにしている。
あまり頻繁に測っても、変化が見えにくくて楽しみが薄れてしまうから、これくらいのペースが、トレーニングという自分への投資の成果確認としてちょうどいい。
数値が悪かった時は、間食の内容など、原因はだいたい見当がついている。
そこから、トレーニングの頻度を少し上げたり、食事を軽く制限したり、何かしらトレードオフすることを考えて実行する。
少し横道に逸れても、こうして軌道修正する作業だけは、崩さずに続けている。
衝動も自己犠牲も含めて、人間らしいバランスだと思えるようになった
ビールを飲んだら太るし、お菓子を食べたカロリー分は、どこかで走って帳尻を合わせる。
そうやってトレードオフしながら、それでも寄り道でストレスを発散する自分を、不完全なりの人間らしさだと思う。
自分が好きになれる体を求めて、トレーニングを続け、体脂肪を下げる努力をしている。
その負担をわかった上で実行することも、一つの覚悟だ。
お腹まわりの脂肪が増えれば、また時間をかけて戻さなければならない罪悪感がある。
でも、それを鏡越しに確認できるからこそ、戻ってきた成果も同じ鏡越しに見える。
自己犠牲のかけ方を、少しずつ変えていく作業も、これからは必要なのかもしれない。
これも50代として、というより、人間として成長していく過程の一部だと捉えて、楽しんでいる部分がある。
トレーニングは変わらず続けているし、自分を好きになれる体には、少しずつ近づいてきている。
それだけは、素直に満足している。
不完全さと折り合いをつけていくことも、自分を整える作業の一部だ。
自分を整える全体の順番は、50代 自分がわからない理由|自分の整え方の順番にまとめている。
