人付き合いのアベレージを上げておきたい|50代が向き合う、これからの人間関係の設計
今は、これでいいと思っている。
でも、この先もこれでいいとは、思っていない。
娘たちが巣立てば、妻だけには頼れない
今、絶対に必要な存在は、妻と、二人の娘たちだ。
でも、娘たちはいずれ自分の家族を持つ。
そうなれば、今のような距離感ではいられなくなる。
寂しいというより、当たり前に来る変化だと思っている。
そうなった時、妻だけに頼るわけにはいかない。
負担をかけたくないし、依存したくもない。
だとしたら、妻以外の人付き合いのアベレージを、今のうちに上げておく必要があるんじゃないか。
そう考えるようになった。
職場で、相談する相手がいない
きっかけは、職場だった。
自分が一番年上になっていた。
相談する相手が、いない。
周りが和気藹々と話している場面を見ることがある。
年齢が近いからこその、あの空気。自分にはその輪がない。
自分自身、年上や上司にわざわざ寄っていくタイプではなかった。
だとしたら、同じ理由で周りも自分に寄ってこないのかもしれない。
一人でいることが寂しいわけじゃない。
でも、この先を考えると、何かを変えるべきなのか、考えてしまう。
対人サービスの仕事は、表情や声のトーンまで含めて、適切な感情を演出し続けることを求められる。
「感情労働」と呼ばれる働き方だ。
一日中、選手という「人」に向き合っているからこそ、プライベートでまた誰かに感情を使うことに、気が乗らなくなるのかもしれない。
人と関わるのが嫌いなわけじゃない。
マイペースでいたいだけだ。
そもそも、なぜ人間関係が幸福に必要なのか
人間は元々、集団でいないと生き延びられない生き物だった。
孤立している感覚そのものが、脳にとっての危険信号になる。
長期にわたる幸福度研究でも、結論はシンプルだった。
良好な人間関係の「質」が、収入や地位よりも、長期的な幸福と健康の最大の予測因子になる。
しかも大事なのは「友人の数」ではなく、「困った時に頼れると思える先が、あるかないか」だった。
人付き合いが必要な理由は、何かあった時に頼れる先が複数ある、という安心のバッファを持っておくことだ。
妻を含めても、頼れる先の数はまだ少ない。
バッファとしては、薄い。
娘たちより深い関係を、目指さなくていい
だとしたら、娘たちの代わりになるくらい深い関係を、新しく作る必要があるのか。
多分、それは違う。
血縁と何十年もの積み重ねがある関係と、同じ深さを目指す必要はない。
必要なのは、深さでは敵わなくても、気軽さと頻度で補える関係だ。
行くのが自然と楽しみになる、居心地の良さで足が向く相手。
安心を感じるのは、深い関係が一つだけある状態より、浅くてもいいから複数の関係がある状態の方だったりする。
全部を一つに背負わせると、それが揺らいだ時に総崩れになる。
共通の趣味やサークルなら、最初から話題がある。
仕事の話をしなくていいし、たわいもない会話が下手でも、共通の話題があれば自然と会話が成立する。
自分のキャリアや年齢を知らない相手だからこそ、先入観なく波長だけで付き合える。
職場で出会う人は、どうしてもキャリアで自分を査定してくる。
それがある限り、たわいもない話にはなりにくい。
損得勘定を手放していい
査定される側の窮屈さを知っているのに、自分自身も同じことをしていた時期がある。
昔は、人付き合いにもどこか損得勘定があった。
プラスになる人と飯に行く。
人脈になりそうな相手と時間を過ごす。
でも、その発想のままだと、めんどくさい人間関係になる。
もっとフランクに考えていい。
かしこまって構築しなくていい。
友人を作ることを、難しく考えすぎなくていい。
今は、これでいい
無理に今、答えを出す必要はないと思っている。
同級生と年に一度会う関係も、たまに連絡を取る友人も、それぞれちゃんとある。ゼロじゃない。
ただ、この先の人生を考えた時、妻や娘たちに全部を頼るのではなく、自分自身で人付き合いのアベレージを、少しずつでも上げておきたい。
答えはまだ出ていない。
ただ、妻という、たった一つの答えで終わらせるつもりもない。
「居心地がいい」だけで人と会える場所を、探し始めてもいい頃かもしれない。
