頼まれなくなって気づいた、疎外感の正体|50代が向き合う、任せることと関わること
トレーニングは部下、コンディショニングは自分
選手のトレーニングはメインで部下が担当し、自分は主にコンディショニングを見ている。
それが今の役割分担だ。
最近、部下はトレーニングだけでなくコンディショニングのサポートまで担うようになった。
選手との会話を重ねながら、自分の領域を少しずつ広げている。
正直、最初は自分の仕事を侵されているような感覚もあった。
それでも、選手との関わりの幅が広がるならいいことだと、今は受け入れている。
それなら自分も、部下の領域だったトレーニング側をカバーしていってもいい。
そう思う自分もいる。
ただ、なんでも自分がリードしてやってしまうと、今度は部下の立場がなくなる。
頼まれてもいないのに前に出ていけば、部下は「自分がいなくても回る」と感じてしまうかもしれない。
だから、必要以上に前には出ない。
頼まれたらやる。
頼まれなければ、任せる。
そういうスタンスを、意識して保ってきた。
頼まれる回数が、減っている気がする
最近、練習中にふと気づいたことがある。
コンディショニングのサポートを頼まれる回数が、部下に比べて少なくなっている気がしたのだ。
選手が部下と話している時の空気は、明らかに軽い。
楽しそうに、気安く話している。
こちらに話しかけてくる時より、ずっと自然に見える。
頼まれることも、以前より減った気がする。
理由は、いくつか思い当たる。
年齢が近い分、部下の方が頼みやすいのかもしれない。
会話を重ねて関係を築いているのかもしれない。
キャラクターが明るい分、話しかけやすいのかもしれない。
褒めそびれる自分、間がつかめない自分
もう一つ、自分の中で気になっていることがある。
年齢を重ねるにつれて、選手の良かったところに気づいても、褒めるタイミングを逃すことが増えた気がするのだ。
忘れているわけじゃない。
ただ、声をかけるべき瞬間に、ふっと気を抜いてしまう。
コミュニケーションのチャンスを、自分から手放している。
25歳以上も離れた世代と話す時、そもそも間の取り方がわからない。
フランクに話しかければいいのか、意を決して踏み込むべきなのか、ノリが違いすぎて入り方がつかめない。
「まあ、いいか」で終わらせてしまうことも、正直ある。
若手の頃には感じなかった、この世代間の会話のリズムのズレを、今は強く感じている。
それを招いているのは、自分だった
引き寄せの法則、という言葉がある。
結局、自分の態度や行動が、今の状況を招いているのだと思う。
職場での立場や年齢を考えすぎて、自分にブレーキをかけている。
前に出すぎないように、部下の仕事を奪わないように。
無意識にそうやって距離を取ってきたことが、そのまま選手との間にも表れている。
頭では、そう分かっている。
それでも、頼まれる回数が減ると、やっている感が薄くなる。
面白みがなくなる。
正直、そう感じている自分がいる。
自分の満足度を上げようと思えば、なんでも自分が引き受ければいい。
でも、それをやってしまうと、今度は部下の立場がなくなる。
頼られたい自分と、部下を立てたい自分。
このバランスが、いつも難しい。
物足りなさは、組織の未来のために
考えてみれば、将来この仕事のメインを担うのは部下たちだ。
自分がこの仕事をあと何年続けられるかも、分からない。
そう考えると、今のやりがいの物足りなさは、組織の未来のために、ある程度は許容する必要があるのだと思う。
これは、今回に限った話じゃない。
ずっとこの仕事を続けてきて、ずっと上の立場にいる自分にとっては、常につきまとってきた問題だった。
頼られることで自分の価値を測ってきた時期もあったし、それを少しずつ手放していく過程でもあった。
これから先も、必要とされる場面は減っていくかもしれない。
それでも、そこにいる意味はある。
今は、そう思うことにしている。
