気づくまで3年かかった|50代が実感した、時間を主語にする生き方
3年前、勤務地が家から5分の場所から、40分の場所に変わった。
給料は変わっていない。
でも、往復80分、毎日それだけの時間を無償で払っていることになる。
80分の、目に見えない給料カット
雇われている以上、そこに意見を言う立場にはない。
異動とはそういうものだ。
額面は変わらないのに、実質的な取り分は減っている。
時間という見えないコストを、給料明細には載らない形で払わされている。
そう気づいたのは、実はつい最近のことだ。
1年間に換算すれば、往復80分ぶんの時間を通勤日数だけ無償で払い続けている計算になり、積み上げるとかなりの量になる。
以前このブログで、この40分の使い方を工夫する話を書いたことがある。
でも今振り返ると、あれは前向きな工夫というより、失った時間をなんとかプラスに見せようとする、気休めに近いものだったのかもしれない。
移動に取られていなければ他に使えたはずの時間を、プラスに変えようとする努力だったのだと思う。
同じ仕事、増えた負荷、変わらない給料
仕事の内容自体は以前と同じだが、求められる水準が上がり、体力よりメンタルがすり減る職場になった。
役職は、少しだけ上がった。
ただし名ばかりで、給与への影響はほとんどない。
肩書きは増えたのに、時間はこちらが持ち出しのままだ。
若い頃なら将来への足がかりとして受け止めていたと思うが、50代になるとやりがいやステップアップを時間と天秤にかけ、より現実的に見るようになった気がする。
仕事の終わりが見えてきているからこそ、時間への比重が以前よりずっと大きくなっているのかもしれない。
気づくまでに、3年かかった
不思議なことに、異動した直後はこの感覚にピンときていなかった。
「時間が一番大切」という話は、本やネットで何度も聞いてきた。
でも、聞くのと、経験として腹落ちするのとは、まったく別の話だった。
このブログを始めて思考を整理してきたことで、ようやく体現できるようになった。
だからこそ、遅れて気づいた。
3年越しの実感だった。
すでに、時間を主語にした選択をしている
もし次に遠くへ異動する場面が来たら、今なら住む場所や仕事そのものを、時間を中心に考えて選ぶと思う。
これは未来の話だけでなく、すでに今も実践し始めている。
昨日、大阪に着いてから部下との会食までの隙間に、往復40分のウォーキングを含めてトレーニングを3時間弱こなした。
今朝のこの時間も、同じように使っている。
時間を価値あるものに転換できた時ほど、気分が上がり、充実感がある。
時間を大切にしている実感が、そのまま気分の良さに直結している。
ただ、これは予定通りに進むことが前提の話でもある。
移動で十分な時間が確保できるか、前日決めた時間にちゃんと寝て決まった時間に起きられるか。
そのどれか一つが崩れれば、この「有効利用」自体が成立しなくなる。
追い求めすぎないという、もう一つの注意点
ただ、これは隙間を全部埋めろという話ではない。
思えば、あの40分の移動時間を「有効活用しよう」としていたのも、同じ性分だったのかもしれない。
失った時間を、無理やり生産的な時間に塗り替えようとする発想。
ただ、今のトレーニングや朝の執筆は、思いつきで隙間を埋めているわけではなく、前日のプラン通りに進んだ結果でしかない。
ストレッチをする。
動画を見る。
何も生み出さないように見える時間も、ちゃんと価値ある時間として定義できるようになってきた。
それも、良い方向への変化だと思っている。
時間に追われる生活は、したくない。
もったいない精神で、空いた時間をすぐ埋めようとしてしまう癖は、まだ自分の中に残っている。
スケジュールをタイトに詰め込みすぎないよう、そこは意識して注意している。
できないことがあっても、それでいい。
給料は変わらなくても、時間の使い方は自分の意思で選び直せる。
80分を失ったことに気づくまで3年かかったが、取り戻す選び方には、もう気づけている。
思考の整え方の順番は、50代 考えすぎて疲れる理由|四半世紀以上現場に立ってきたトレーナーが見つけた、思考の整え方の順番にまとめている。
