熱量が下がったんじゃない、構造が変わっただけだった|50代が気づいた、役割が変わるということ
サポート役から、メインへ
以前は、アシスタントとして仕事をしていた。
必要に応じてサポートする立場だ。
求められた時に動けば感謝される。
逆に、動かなくても、特にお咎めはなかった。
責任の重さが、そもそも違ったんだと思う。
今は、メインでその仕事をしている。
部下も持つようになった。
新人に仕事を覚えてもらい、役割を与えて任せていく。
気を遣う場面が、以前より格段に増えた。
やって当然という立場になって
今の立場は、やることが前提になっている。
効率よくやれることを、あえてやらない選択をすると、それだけで後ろめたさが生まれる。
周りからすれば「なぜやらないのか」と映っているかもしれない。
それでも、そこには自分なりの理由がある。
新人を育てるため。
仕事を覚えてもらうため。
任せることでモチベーションを上げるため。
一歩引いて動くことが、以前より増えた。
その分、熱量が下がったと見られても、それは仕方がない部分だと思っている。
余力を残す働き方
正直に言えば、自分の中では最大限の努力をしているわけではない。
余力を残して働いている感覚がある。
全力を出し切らないことを、意識的に選んでいる。
頑張っている若手や部下を見ると、自分は仕事をしていない側に見えているんじゃないかと感じることもある。
昔なら、その空気に反応して、もっと全力でやっているように見せていたと思う。
今は、そこまでの必要を感じない。
見せることより、任せることの方に意味を感じるようになったからかもしれない。
バランスを考えながら動く分、傍目には手を抜いているように映ることもあるだろう。
それも織り込み済みだ。
3軸で生きる、50代のスタイル
自分の中には、家族・自分・仕事という3つの軸がある。
仕事に全部を注ぎ込む気はない。
その分を、家族や自分の時間に回している。
仕事全振りだった40代とは、明らかにスタンスが違う。
これは、50代なりに選んだスタイルだ。
周りをそこまで気にせずにいられるようになったのも、その軸があるからだと思う。
仕事の熱量ではなく、生活全体の配分を見直した結果、今の余力の残し方に落ち着いた。
それでも、選んだこと自体には納得していても、後ろめたさが完全に消えるわけではない。
構造の問題だとわかっていても
サポート役だった頃と、メインで部下を持つ今とでは、評価される構造そのものが違う。
求められることの量も、責任の重さも、周りからの見られ方の基準も、全部変わった。
だから、熱量が落ちたわけじゃない。
役割が変わって、周りに求められるものと、見られる物差しが同時に変わっただけだ。
構造の話として捉え直せば、変わったのは熱量ではなく、幸せの比重の方だとわかる。
仕事にかける量は減っても、家族・自分・仕事の3軸で見た人生全体の満足度は、むしろ高くなっている。
量をこなすことより、効率と質を求める働き方に変わってきている実感もある。
この先の健康やライフスタイルを考えると、それも50代らしい、大切な気づきなんだと思う。
50代になって、以前なら感情のまま抱えていたモヤモヤを、一歩引いて眺められるようになった。
感情だけで処理するのではなく、自分の中で腑に落ちる答えを見つけられるようになった。
多方面から問題の糸口を探れる選択肢が増えたことも、50代になって得た強みだと思う。
今回のように、これはシステムや役割の問題なんだと気づけたこと自体が、その選択肢の一つだった。
