後悔しない選択をするために|50代が気づいた、思考整理の本当の意味
出張先のホテルで、同僚と朝食を共にした。
入社3年目の、27歳くらいの若手だ。
同じ部署だけど、年齢差もあって、 そこまで話し込むような間柄ではなかった。
何気ない会話の中で、 「ここに来たことある?」という話になった。
「2年前の忘年会の景品で当たった旅行で」 と同僚が言った。
その忘年会、自分も参加していた。
でも完全に忘れていた。
自分は彼のことを、ほとんど気にかけてこなかったのだと気づいた。
なぜか。
少し考えたら、すぐわかった。
得にならないことなら、まあいいか。
そんな思考が、ずっと顔を出してきたからだ。
損得勘定で生きてきた
正直に言う。
仕事でも、人間関係でも、 損得勘定が常に顔を出してきた。
クビにならないように振る舞う。
得になることには積極的に動く。
今すぐ利益にならないことは後回しにする。
上司に媚びを売る同僚を見て、 「そうはなりたくない」と思いながら、 結局自分も別の形で損得に支配されていた。
人脈作りも、 「今すぐ役に立つかどうか」で 判断してきた部分があった。
それが、隣で働いてきた同僚のことを ほとんど知らないという現実に繋がっていた。
でも最近、その色が少しずつ薄くなってきている気がする。
隣の同僚のことが、ふと気になった。
それだけのことだけど、以前の自分にはなかった感覚だった。
でも、その選択をしたのは自分だ
自己否定したくなった。
人間としてどうなのか、と。
でも少し考えて、気づいた。
損得勘定で動いてきたのは事実だ。
でもその選択をしてきたのは、他でもない自分だ。
→ お払い箱かもしれない、と思っていた|50代コーチが見つけた、潤滑油という生き方
30代で住宅ローンを組んだ時も、 「今しか買えない」「家族のために」と思って決めた。
今となっては足枷に感じる部分もある。
高額のローンが選択の自由を狭め、 クビになることへの恐怖を大きくしてきた部分もある。
でも、その時の自分が精一杯考えて出した答えだった。
「それ以上でもそれ以下でもない。」
その選択に後悔があるとすれば、 思考が整理されないまま、 勢いで決めてしまったことへの後悔だ。
大切なのは、自分で納得して決めたかどうかだったのだと今は思う。
後悔の正体は、思考の整理不足だった
子供の名前を決める時、 自分たちで考え抜いた名前があった。
でも最後の最後に、字画数が気になって調べた。
少しでも幸せになってほしい、という気持ちがあったから。
思考が整理しきれない時、 人は外側に決断の根拠を求める。
それって弱さじゃなくて、 **「自分の選択を信じたい」**という人間の本質だと思う。
逆に言えば、 思考が整理されていれば、 自分の内側から根拠が生まれる。
後悔の多くは、自分で決めた感覚が薄いまま動いたことへの後悔だ。
結果の善し悪しより、納得して選んだかどうかの方が、ずっと大きいのだと思う。
やるかやらないか、自分で決められれば、 そこに後悔はない。
結果が成功でも失敗でも、 自分で納得して選んだ選択なら、 それは自分の人生として成立する。
思考を整えることが、自分の選択を信頼することに繋がる
最近、少しずつ変わってきていることがある。
損得勘定の色が、薄くなってきた。
余白が生まれてきた。
気づきに目が向くようになってきた。
自分の人生を軸に考えられるようになってきた。
経験の積み重ねが、思考整理の解像度を上げていく。
50代の強みは、そこにある。
ブログを書くことで思考が整っていく。
思考が整うことで、自分の選択に確信が持てるようになる。
確信が持てるから、後悔が減っていく。
→ 気づいたら、鎖が外れていた|50代が恐怖と向き合いながら前を向く話
これが思考整理の本当の意味だと気づいた。
外側の正解を探すのではなく、 自分の内側から選択の根拠を育てていく。
朝、MacBookを開く。
記事を一本書く。
その積み重ねが、 自分の選択を信頼できる思考を作っていく。
今日も、自分で選んでここにいる。
その積み重ねが、自分の人生になっていく。
→ 自分の人生を、自分で選び直す|50代が気づいた「支配からの卒業」

