条件が整うのを待つより、まず動く|50代が気づいた、関わり方の正体
昨日、後輩を飲みに連れて行った。
大した店じゃない、近所の居酒屋だ。
それでも「呼んでもらえてありがたかった」と言われて、少し驚いた。
店より、時間を共有すること
せっかく誘うなら、それなりの店を探さなきゃ。
正直、店選びには気を遣っていた。
美味しいものを食べさせてやりたい。
特別感のある時間にしたい。
そう思って、店を探すこと自体に時間をかけていた。
でも喜んでいたのは店の味じゃなかった。
話ができたこと。
ただ一緒に時間を過ごせたこと。
そこに満足感を持ってくれていた。
美味しいものにこだわることより、機会そのものを作ることの方が、大事だったのかもしれない。
「ちゃんとした店じゃないと、誘う意味がない」。
そんな条件を、自分で勝手に積み上げていた。
条件を整えることが、いつのまにか目的にすり替わっていた。
任せると決めたのに、手を離せなかった
似たような癖は、部下との関係にもあった。
今年入ってきた部下に、選手対応の一部を任せている。
自分がやった方が早いし、効率もいい。
それでも一つずつ経験させる方が、仕事を覚えるし、責任感も育つ。
そう思って任せてきた。
任せると決めたはずなのに、彼のやり方を見ていると「そうじゃないだろう」と思う瞬間が何度もあった。
効率が悪い。
俺ならこうする。
それでも、自分で気づく時間だと思って、手を出さずにいた。
でも最近は、完全に任せっきりにはしていない。
必要に応じてアシスタントの立場で部分的に関わるようにしている。
彼が主体でその仕事を回していることは尊重しながら、選手の満足度が下がらないようサポートする。
そのバランスを探っている。
「任せる」と自分で決めた条件を、自分で崩すことに、簡単には踏み切れなかった。
目的として与えたはずのものを、自分から崩す行為に見えてしまうから。
でも、選手の不満が高くなる状況を放っておくわけにもいかない。
この揺れも、条件に色をつけすぎていた自分の癖だったのだと思う。
見る角度で、違って見える
自分が条件に色をつけていたのと同じように、他人の行動にも、自分の物差しで色をつけていたのかもしれない。
そう気づかせてくれたのが、コーヒーカップの話だった。
コーヒーカップは、正面から見れば取っ手が見える。
横から見れば見えない。
同じものでも、見る角度で違って見える。
後輩たちと飲みながら、それぞれが違う問題を抱えて、違う景色を見ていることを、しみじみ感じた。
同じ環境にいても、感じ方はまるで違う。
これは子供たちも同じだ。
同じ体験をしていても、受け取り方は一人ひとり違う。
俺がつまらないと思うことを、面白いと感じているかもしれない。
俺が面白いと思っていることを、つまらないと感じているかもしれない。
部下との待ち合わせでも、それを思い知らされた。
気を遣って5分前に行ったら、相手は指定時刻ぴったりに現れた。
時間に間に合っているのだから何も問題はない。
それでも一瞬、拍子抜けした。
時間通りに来る方が、今は「気を遣わせない」配慮なのだと、後から気づいた。
先輩より早く来るのが当然だと思い込んでいたら、それはただの押しつけになる。
今の風潮を知らずに自分の物差しだけで判断すれば、老害になりかねない。
条件が整うのを待つより
経験を積むほど、「ちゃんとやるなら条件を整えてから」という癖がつく。
良い店を選んでから誘おう。
完全に任せられる状態を作ってから任せよう。
そうやって、動く前に条件を整えようとする。
それが、行動しない理由になっていることに、最近気づき始めた。
でも、後輩も部下も、見ていたのは条件の完璧さじゃなかった。
関わろうとする、その一歩の方だった。
色をつけすぎているのは、いつも自分の側だったのかもしれない。
妻とも、子供とも、選手とも、後輩とも。
会話を重ねて、相手の状況をアップデートし続ける。
条件が整うのを待つより、まずそこから動く方が、近道なのだと思う。
