それ以上でもそれ以下でもない|50代が見つけた、自分の満足度という物差し
50代だから、と諦めていたわけじゃない。
むしろ逆で、もっと応えなきゃと思っていた。
選手の結果に、自分の価値を預けていた
25年以上、プロ・アマチュアの現場でアスレティックトレーナーをやってきた。
選手一人ひとりに対して、自分がやれることは限られている。
それがうまく結果に結びつく場合もあれば、何の影響もないように見える場合もある。
全ての選手に、同じサービスを提供できるわけじゃない。
相性だってある。
その選手が本当に望んでいるものを、自分が提供できるとも限らない。
その選手のために何もできなかったと思うと、自分の存在価値はどうなんだろうと考えることがあった。
他の同僚がうまく選手とやっている姿を見た。
自分自身のコミュニケーションが下手なんじゃないか。
あいつはうまくやっているなあ。
やっかむこともあった。
今思えば、その頃は自分の価値を、選手の結果という他人の数字に預けてしまっていたんだと思う。
あの選手が、後輩ではなく俺に来た日
ある時、成績が好調な選手がいた。
その担当を、あえて後輩に任せていた。
好調だから、俺は見ないようにしていた。
後輩は、自分のトレーニングの影響で好調になっていると思っているようで、他人に干渉されたくなさそうな雰囲気があった。
だから俺も、あえて距離を取っていた。
それが、後輩の自信にも繋がると思っていたからだ。
しかし、その選手の調子が悪くなってきた時――
後輩ではなく、俺に相談してきた。
新しい何かを取り入れようと思ったのかもしれない。
その後、何がうまくいったのか、
正直よくわからない。
技術的なアプローチを変えたのか、単に本人の意識が変わったタイミングだったのか。
ただ、その選手の調子は回復して、良い成績を収めることができた。
結局、選手本人の思考や状態は、誰かが完全にコントロールできるものじゃない。
監督、コーチ、家族、本人の意識。大勢の人や要素が関わっている。
どの要因がどれだけ影響しているかなんて、誰にも測れない。
うまくいった時も、うまくいかなかった時も、それは同じことだ。
この経験が、自分の中の「力の入れ方」を見直す、大きなきっかけになった。
40代までの「120%」という背伸びを、手放した
それまでの俺は、自分の力をそれ以上出そうとしていた。
俺なら解決できる。もっとできるはずだ。
そう思って、120%の力を出そうとしていた。
俺だからこのくらいやってくれるだろうという、選手の期待に応えるために。
でも、あの選手の一件で気づいた。
俺自身の関わりが、結果にどれだけ貢献しているかなんて、本当のところは分解できない。
だとしたら、俺自身が全てを解決できるほど優秀だと思い込むこと自体が、そもそも違っていた。
俺の50%の関わりでも選手が満足する結果もあれば、120%出しても結果が伴わないこともある。
力の出し方と結果は、比例しない。
サービスのアベレージを70%くらいにしておく方が、かえって相手の満足度を、期待を少し上回るところで満たせる。
背伸びをせず、俺にしかできないことで勝負する。
それを必要としている選手は、必要な時にちゃんと向こうから来る。
もちろん、こちらからの気づきや声がけはこまめにしておく。
それ以上でもそれ以下でもない
想像や、やっかみや、自己嫌悪。
ひとつの結果に引っ張られると、そこに簡単に飲み込まれてしまう。
50代になった今だからこそ、それがよくわかる。
他人の結果と自分の結果を比べても、意味がないということも。
結果は、それ以上でもそれ以下でもない。
自分自身の物差しで、自分の仕事を測る。
過大評価もしない。過小評価もしない。
俺は俺というスタンスで、次の選手と向き合っていく。
それだけでいいんじゃないかと、今は思っている。
一瞬の120%より、毎日の70%。
50代が高めるべきは、最大値じゃない。
平均値だ。

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