色をつけるかどうかが、全部の分かれ目だった|50代が気づいた、厄介な人・やりやすい人の正体
人の良し悪しを、能力で判断しているつもりだった。
でも、実際は違った。
熱意がある部下ほど、厄介な案件になる
新しい仕組みを、今すぐ導入すべきだと提案してきた部下がいた。
他の部下たちは、まだその段階だとは考えていない。
数年後には必要になるだろうとは思っていても、今すぐではない。
それが、現場の共通認識だった。
でも彼の頭の中では違う。
誰よりも先に、最先端のものを取り入れたい。
同業者の先を行きたい。
純粋な興味と、向上心もあるのだろう。
悪意なんて、どこにもない。
こちらとしては、今のペースを乱されたくない。
ついていけない部下も出てくる。
新たな負担にもなる。
そういう悪い面も、考慮しないといけない。
結局、導入はする。
ただし3年かけて軌道に乗せる、お試し期間という形で決着した。
いい面もあれば、悪い面もある。
上司としては、なかなか厄介な案件だった。
彼の熱意は、本来なら評価されるべきものだ。
それでも、真っ先に浮かんだのは「厄介」という感情だった。
何もわかってない上司の方が、やりやすかった
以前担当してくれた上司は、正直、現場のことをよくわかっていなかった。
でも、それが逆にやりやすかった。
「会社の要求がこうだから、答えを出してくれるかな」というふうに、案件に色をつけず、事務的に対応してくれる。
ある意味、整理整頓してくれているようなものだった。
判断を委ねられている分、こちらの裁量で動ける自由もあった。
今の上司は違う。
現場に関わってきた経験がある人だ。
わかっているからこそ、自分の考えを反映させてくる。
「わかっているから」という自負がある分、案件に自分の色を乗せてくる。
関わってきた分、色がつく。それが、むしろ厄介極まりない。
手柄は持っていかれる。
変な先入観だけを一方的に持ち込んでくる案件も、実際には手強い。
皮肉なことに、能力や経験が上がるほど、こちらにとって扱いにくくなる場面がある。
分けていたのは、能力じゃなく「色」だった
新しい仕組みを提案してきた部下も、経験を積んできた今の上司も、悪い人間ではない。
むしろ、熱意や経験がある人たちだ。
それでも、身構えてしまう。
分けているのは、能力の高さでも、人柄の良さでもなかった。
その人が、自分の仕事のペースを乱す「色」を持ち込んでくるかどうか。
それだけだった。
色がなければ、能力の有無に関係なくやりやすい。
色があれば、能力の有無に関係なく厄介になる。
人を評価しているようで、実際は自分のペースが守られるかどうかを見ていただけかもしれない。
色をつけても、それでもできることがある
色をつけない人が、いつも正義というわけでもない。
案件を丸ごと委ねられる分、判断も責任も、結局はこちらに集約されていた。
結局のところ、誰かを「やりやすい」「厄介だ」と判断する時、こちらは無意識に、自分のペースが守られるかどうかで見ている。
それが本音のところなんだと思う。
だとすれば、自分もまた、誰かにとって色をつけてくる煙たい存在になっている瞬間が、きっとある。
部下からすれば、自分の経験や考えを押しつけてくる、今の上司と同じ立場に見えている時があるかもしれない。
それでも、色をつけながら、少しでも彼らのペースでやれる環境を作っていく。
それが、上司としてできる努力なんだと思う。
居心地の悪さを放っておけば、いずれ誰かがこの場を離れていく。
それだけは避けたい。
人と関わる上で、色をつけずにはいられない50代だからこそ、その色をどう抑えて、若い人たちのペースを守れるか。
それは今も続いている、自分なりのチャレンジだ。
自分のペースを守りたいだけなのに、それが評価という色になってしまう。50代になって、考えすぎて疲れることが増えたのも、結局は同じところから来ている気がする。
