時間の掛け算|50代が気づいた、価値ある時間の増やし方
充実した1日と、そうでない1日。
何が違うのだろうと考えていた。
時間の長さじゃない。
使い方の密度でもない。
「価値ある時間がいくつあったか」だと気づいた。
ながらでできることの価値が高い
朝、ボサノバをかけながらコーヒーを飲む。
そのままブログを書く。
音楽×コーヒー×思考の整理。
三つが同時に満たされていく。
これが「掛け算」だと思っている。
それぞれを別々にやれば、それぞれ1時間かかる。
でも同時にやることで、1時間の中に3時間分の満足が生まれる。
少し大袈裟かもしれないけど、体感としてそれくらいの差がある。
好きなものが重なる時間は、1日の価値指数の底上げをしてくれる。
朝のゴールデンタイムにこれができると、その日はもうそれだけで十分だと思える。
「ながら」でできることの価値は、思っているよりずっと高い。
余白は、使い方を決めておかないとただの暇になる
スケジュールが決まっていない時間——余白が生まれた時、何をするか。
以前はそれを決めていなかった。
だから余白ができると、なんとなく動画を見て、ゲームをして、アニメを見て終わった。
やりたかったからじゃない。
他にやることがなかったからだ。
その時間は消費されていくだけで、充実感が残らなかった。
今は違う。
余白が生まれた時に何をするか、ストックしておくようにしている。
「時間ができたらこれをやろう」というリストが頭の中にある。
余白が生まれた瞬間に、価値ある時間に変わる。
暇つぶしと余白の違いは、使い方を決めているかどうかだけだと思っている。
お金のためだけにやることの限界
若い頃、引越しのアルバイトをしていた。
力仕事で、体は動かす。
経験としては悪くない。
でも何度やっても、面白いとか、ためになるという感覚が来なかった。
郵便局で年賀状の仕分けや配達をしたこともある。
効率を少し考えたりはした。
でもそれだけだった。
気づいたのは、あまり考えなくていい仕事は自分に向いていない、ということだ。
頭を使わない時間は、終わることだけを待っている。
その時間は消費されていくだけで、価値が積み上がっていかない。
時間単価という意味で、その差は大きかった。
通訳の仕事が、時間の使い方を変えた
転機になったのは、通訳の仕事を任された時だった。
英語は話せる。
でも即時に変換する作業は、久しぶりだった。
単語や情報を事前に頭に入れておく必要がある。
50代になってからのその作業は、正直きつかった。
脳のコンディションを整えなければ、太刀打ちできない。
そこから「朝の時間」という考えに辿り着いた。
睡眠をしっかりとって、頭の回転をよくする。
脳のリソースが最大になる朝に、最も重要なことを置く。
時間が限られているからこそ、効率を真剣に考えた。
でも、きつかっただけじゃなかった。
やり切った先に、久しぶりの感覚があった。
錆びて動いていなかった部分が、動き出した感覚。
まだ自分にはできる、という手応え。
眠れる獅子が、起きた瞬間だったかもしれない。
その体験が、自分を最大限に活かす方向へ向かわせた。
時間の整理整頓は、その延長線上にある。
好きの延長が仕事になると、全部が変わる
やりたい仕事につければ、働くこと自体が価値になる。
深く続けるほど、その時間の単価も上がっていく。
お金が発生する。
スキルが深まる。
自分の価値観が育つ。
一つの時間に、複数の価値が重なっていく。
趣味を多く持っている人が充実して見えるのも、同じ理由かもしれない。
お金がかかるものでも、かからないものでも。
時間がかかるものでも、かからないものでも。
「これをやっている時間が好きだ」という感覚がある限り、その時間は掛け算になっていく。
ブログが、その入り口になるかもしれない
今のところ、ブログはまだ副業とは言えない。
収入というより、自分の思考を整理するためにやっている感覚の方が強い。
でもそれでいいと思っている。
今は「好き」と「自分の整理」が重なっている時間だ。
それだけで、十分に掛け算になっている。
50代は、時間の使い方を根本から問い直せる年齢だと思っている。
若い頃のように「とりあえず稼がなきゃ」という切迫感は薄れた。
だからこそ、好きの延長に価値を重ねていける。
ブログが、その掛け算の入り口になる。
そう思うと、書くことが楽しくなってくる。
