ここぞと言われるたびに、削られていた|50代が手に入れた、自分設計の仕事術
ここぞという感覚に、ずっと違和感があった。
たびたびこんな言葉をかけられることがあった。
「ここは踏ん張りどころだ。」
「なんとかやり切ろう。」
「ここは大事だから乗り越えよう。」
最初は奮起していた。
でも、それを何度も繰り返しているうちに、何かがおかしいと感じ始めた。
その空気が、人を削っていくことに気づいたのだ。
ここぞを使いすぎると、何が起きるか
消炎鎮痛剤をイメージするとわかりやすい。
本当に痛い時に使えば効果は高い。
でも、ちょっとした痛みでも使い続けると、体は慣れる。
閾値が下がる。
そのうち、同じ量では効かなくなる。
ここぞ思考も同じだ。
大事な場面を増やせば増やすほど、エネルギーの消耗が激しくなる。
思考もフィジカルも削られていく。
1年というスパンで考えた時、それを年中続けていくと、気づいた時には出涸らしになっている。
本当のここぞで、力が出なくなる。
それが一番怖い。
環境の空気に、気づかず染まっていた
厄介なのは、その感覚に慣れていくことだ。
「ここぞで全力を出すのが仕事だ」という空気の中にいると、それが普通になる。
違和感があっても、周りに合わせているうちに、自分のマインドもいつの間にか引っ張られていた。
方針を決める人が、思考の色を決める。
それをつくづく感じた。
ただ、ずっと腹落ちしない感覚は残っていた。
その違和感が、自分の軸を守ってくれていたのだと思う。
では、なぜその感覚を手放さずにいられたのか。
それは、自分の中に基準を持っていたからだと思っている。
自分基準を手放さなかった
では、なぜ自分基準を保つのが難しいのか。
自分基準を保つには、エネルギーがいる。
そのままでいれば楽だ。
余計なことを考えなくて済む。
だから多くの人が、気づかないうちに周りの基準に合わせていく。
他にやりたいことがないか、そもそも気づいていない。
より良いものがあることを知らないまま、井の中に留まってしまう。
私はずっと、蝋燭の火を消さないようにしてきた。
基準の高低はあった。
低くなっていた時期もある。
でも、自分基準という感覚そのものは手放さなかった。
迷ったら自分に聞く。
それだけを続けてきた。
評価されるかどうかじゃない。
自分の中に高く保つラインがある。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
仕事と同率の対象を作る
自分基準を上げておくと、何が起きるか。
日頃から準備や効率を高めておく。
仕事のクオリティを一定に保つ習慣を作っておく。
そうすると、他の人にとってのここぞが、自分にとってはいつも通りの場面になる。
余計なエネルギーを使わなくて済む。
その結果、余力が生まれる。
その余力を、仕事以外のことに使える。
家族との時間、自分を整える時間、好きなことへの時間。
それが回り回って、さらに仕事の質を底上げする。
大事なのは、仕事と同率の対象を作ることだ。
「それがあるから、仕事を早く切り上げる。」
仕事のために他を削るのではなく、他があるから仕事を見直す。
その発想が、平均値を上げる入り口になる。
ここぞより、いつも通りを高く
ある言葉が刺さった。
「踏ん張れじゃなくて、いつも通りやろう。」
この言葉の本質はここだと思っている。
「この仕事は大事だから、しっかりやろう」ではない。
普段から仕事は大事だ。
いつもやっていることがそのレベルで維持できていれば、他の人にとっての大事な場面も、自分にとってはいつも通りの場面になる。
周りの温度感で右往左往することなく、いつも通りの自分で乗り越えられる。
自分のできることを把握している。
大事な場面を想定して、準備や効率を高めておく。
環境として整えておくから、本番でもマイペースを保てる。
それが、自分設計ということかもしれない。
