厄介者が、幸福に変わる|50代が芝刈りで気づいた、負担と喜びの分かれ目
「いつかやらなきゃ」——その「いつか」が、先週やってきた。
「いつかやらなきゃ」が、頭の片隅にあり続けていた
庭の芝刈りと雑草取り。
ずっと後回しにしてきた。
夏の炎天下での庭仕事は、熱中症のリスクもある。
年齢とともに、そもそも庭仕事自体が億劫になってきた。
仕事の合間、貴重な休みを使って作業するのも、正直しんどい。
他にもやりたいこと、休みたい気持ちの方が勝ってしまう。
しかも、道路沿いに家が建っている。
通る人の目にも、自然と入る。
家はきちんとしているのに、庭だけぼうぼうでは、この家の人はちゃんとしていないと思われる気がして、それも気になっていた。
やらなきゃいけないことはわかっている。
でも、そのわかっている状態のまま、何週間も、何ヶ月も過ぎていった。
気づけば、梅雨はとっくに明けていた。
気づけば、庭がジャングルになっていた
そうやって後回しにし続けているうちに、芝は伸び放題、雑草も勢いを増していった。
気づけば、庭はちょっとしたジャングルのようになっていた。
芝は足首まで伸びて、雑草は花を咲かせ始めていた。
庭というより、もはや小さな緑地だった。
やらなきゃという気持ちと、やる気になれない現実。
その間で、ずっと宙ぶらりんだった。
今回は、2回に分けてやってみた
ようやく重い腰を上げた。
以前は、一気に1回でやり切ろうとしていた。
炎天下で何時間も、体力の限界まで。
でも今回は、2回に分けることにした。
年齢相応のやり方だ。
時間はかかる。
それでも、体への負担はぐっと減る。
1回目でざっくり刈って、少し間を空けて、2回目で仕上げる。
全部を一気に終わらせないと気が済まなかった、これまでの自分からすると、ちょっとした方向転換だ。
少しずつ進める、という発想に、初めて素直になれた気がする。
断捨離したような爽快感、そして運動にもなっていた
作業を終えて、庭はすっきり綺麗になった。
断捨離を終えた時のような、あの気持ちよさに近い感覚があった。
毎日その庭を見るだけで、なんだか安心する。
気分も晴れる。
玄関を出るたびに、ちょっと誇らしい気持ちにさえなる。
しかも、これがいい運動になっていた。
汗をかいて、体を動かして——普段のランニングと同じくらいのエネルギーを使っていた実感がある。
庭仕事も、立派な運動の一つなのだと、今更ながら気づかされた。
厄介者ではなく、実は有益な存在だった
綺麗な芝生のある庭付き一軒家を手に入れて、そこから年々、手入れが大変な庭に変わっていった。
でも、今回の経験でちょっと見方が変わった。
運動になる。
自然と触れ合える。
少しずつやれば、負担も減る。
この秋(10〜11月)には、予防としての除草剤散布を検討している。
今までは生えてしまった雑草を枯らすタイプを使っていたけど、それだと根本的な解決にはならなかった。
芽が出る前に抑えるタイプを、越冬前のこの時期に使う。
今度は、少し違う結果になるかもしれない。
道具を新調して、体力の減退をテクノロジーで補うのもいいかもしれない。
時には自分でやらず、業者に頼むという選択肢もあるはずだ。
まだ時間的な余裕は少ない。
だからこそ、無理はせず、余白を残しながら、バランスよく整えていきたい。
厄介者ではなく、実は有益な存在だった。
厄介者から、ちょっと手のかかる子供へ。
そんなふうに、うまく付き合っていきたいと思っている。
