メンタルとフィジカルを、分けて回復するようになった|50代が気づいた、疲れへの向き合い方
40代の頃、疲れたら「とにかく何もしない」が正解だと思っていた。
仕事中心の生活で、がむしゃらに忙しい毎日を過ごし、家族のためにという思いで頑張っていた。
だから休日は極力何もしないという発想。
行動=疲労という考え方で、用事があっても後回し。
ゴロゴロして、好きなものを食べて、それがリカバリーだった。
40代の回復法には、代償があった
ポテチを一袋完食して「やり切った」と感じていた。
ゲームをしながら背徳感を味わって、それで満足度を上げていた。
鬱憤を晴らすためにジャンクフードを食べる。
それをリカバリーと呼んでいた。
仕事終わりに飲みに行くのもそうだった。
美味しいものを食べて、仕事の愚痴を言って、ビールを飲む。
その時はストレス発散になっている。
でも翌日に二日酔い、寝不足、胃もたれが待っている。
ストレス発散に、かなりの代償が伴っていた。
それでもリカバリーと呼んでいた。
今思えば、回復しているようで消耗していた。
体は休んでいるつもりでも食事は乱れる。
メンタルは鬱憤を晴らしているつもりでも、翌日に何も積み上がっていない。
さらに、完全休養した翌日の出勤前に用事を済ませようとしたことがあった。
でも急な仕事が入って、その用事ができなかった。
すると今度はその用事が脳の片隅に居座り続けた。
「まだやっていない」「早く済ませなければ」という気になる事柄が、メンタルに負担をかけ続けた。
休めばフィジカルは回復する。
でも行動しなければ、メンタルの回復は妨げられる。
やるべきことを後回しにすることが、回復どころかさらなる負担に変わる。
それを実感してから、疲れへの向き合い方が変わり始めた。
50代になって、分けて考えるようになった
変化のきっかけは、ブログで言語化するようになったことだった。
書くことで、自分が何に疲れているのかが整理されてきた。
疲れだけじゃなく、色々なことを一緒くたにしてしまっていて、対処法が適切じゃないとうまく機能しないということに気づいた。
物事を理解して、適切に処理する。
それが50代になってできるようになってきたことだと思う。
がむしゃらから、落ち着きへ。
体が疲れているのか、頭が疲れているのか、気持ちが疲れているのか。
どこが疲れているかによって、アプローチが変わる。
それを見分けられるようになったことが、大きな転換だった。
一緒くたにしていると、どこに何を当てればいいかわからなくなる。
適切なアプローチは、疲れの種類を知ることから始まる。
フィジカルのリカバリーは、体の中から回復する
フィジカルの核は睡眠だ。
7時間以上が十分の基準。
40代の頃は「5時間確保できればOK」だったのが、今は7時間を土台に考えている。
その上に、トレーニング・ランニング・ストレッチ・食事が乗ってくる。
メンタルが疲れている朝でも、ウェイトを上げてやり切った時の充実感がある。
筋肉にかかるストレスの心地よさ、汗をかいた後の爽快感。
全てをやり切って、自分の体に積み上がっていく感覚。
疲れているからこそ体を動かす。
それがフィジカルリカバリーの真骨頂だと思っている。
メンタルのリカバリーは、言葉で整える
フィジカルが「体の中から回復する」なら、メンタルは「言葉で整える」。
朝のゴールデンタイムに、自分の中ではっきりしないことを言語化する。
モヤモヤしていたものがスッキリしたり、自分の中にこんな発想があったのかという気づきが生まれる。
そして、なんとなく有耶無耶にしていたことを、はっきりさせる行動が取れるようになる。
逃げていた現実と向き合える。
それがブログを書き終えた後の感覚だ。
さらに、3軸設計が対処法として機能している。
自分・家族・仕事の3つを軸に持つことで、例えば仕事で疲れたメンタルを、他の2軸の充実した時間で回復させられる。
ひとつの軸が揺れても、他の軸が支えてくれる。
選択肢が増えると、リカバリーの方法や選択も増える。
適切なアプローチができるようになってきた。
回復+αが生まれるようになった
40代の回復には、代償があった。
体を休めながら食事が乱れる。
気持ちを晴らしながら時間を浪費する。
差し引きするとほぼゼロ、あるいはマイナスに近い回復だった。
今は違う。
フィジカルを整えながら体力が戻る。
メンタルを整えながら思考が深まる。
回復しながら、何かが積み上がっていく。
回復+αがある。
疲れへの向き合い方を変えると、同じ時間でも全然違う翌日が来る。
50代になってから、それを実感している。
疲れは敵じゃない。
分けて向き合えば、回復しながら前に進める。
それが50代の疲れへの答えだと思っている。
