嫌われると、面倒だと気づいた|50代が作る、動きやすい人間関係の設計
正直に言うと、嫌われないようにやってきた感覚がある。
でもそれは、好かれたいからじゃない。
関係性がこじれると、一緒に仕事をしていく上で余計なストレスが生まれる。
それが面倒だから、ある程度の距離感を保ってきた。
嫌われないようにではなく、自分が動きやすいように。
それが正直なところだ。
気を遣うのは、弱さじゃなかった
「気を遣いすぎている」と感じることがある。
相手がどう思っているかを考えて、言葉を選んで、場の空気を読む。
それが自分じゃなくなる感覚につながることもある。
でも振り返ると、気を遣う場面には共通点がある。
関係性がある人、これからも一緒にやっていく人。
そういう相手にだけ、気を遣っている。
関係性のない人には、むしろ気を遣わない。
自分のペースでいい。
つまり、気を遣うのは感情的な話じゃない。
関係性を一定のレベルで保つための、戦略だった。
好かれる必要も、話す必要もない
誤解を恐れずに言うと、全員に好かれようとは思っていない。
必要なのは、余計なストレスを生まない程度の距離感だ。
印象を悪くしない。
関係性をこじらせない。
それだけでいい。
逆に、厄介な仕事を押し付けてくる相手には、距離を置くようにした。
同じ空間にいないようにする。
関わらないようにする。
気を遣うどころか、接点を減らすことを選んだ。
大事なのは、関わっていく必要がある人を明確に認識すること。
その上で、それぞれの関係性の濃淡を決めていく。
好かれなくていい。
深く話さなくていい。
よく周りを観察して、それぞれの関係性を理解しているからこそ、できる選択だと思っている。
損得勘定に聞こえるかもしれない。
でも本当に必要な人や物事に、限りあるエネルギーを使うために取捨選択する。
それを経験値として自然にできるのが、50代なのかもしれない。
「自分じゃなくなる」という感覚
それでも、葛藤はある。
例えば、相手に寄り添う言葉をかける場面。
そこまで深く心配しているわけじゃないけど、なんとなくそういうことを言う。
そう思っていないわけじゃないけど、どこか機嫌取り感がある。
その瞬間、「自分じゃなくなる」という感覚が出てくる。
でも日本人って、もともと気を遣える文化がある。
相手との間や距離を大切にする。
それはある意味、いいところでもある。
機嫌取りと気遣いは、紙一重なのかもしれない。
仕事としての割り切りもある。
納得いかないことは自分優先でいい。
でも、寄り添うことが必要な場面ではそうする。
その判断を自分の中で咀嚼できるかどうかが、大事なんだと思う。
気遣いの「温度」が違う
気を遣うといっても、相手によって温度が全然違う。
仕事の場面では、関係性を維持するための気遣いだ。
余計なストレスを生まないための距離感。
でも家族や親しい友人には、もっと親身になる。
時間のかけ方が違う。
気持ちの入り方が違う。
職場でも、相手が本気で悩んでいる時や、一緒に解決していく場面では、時間をかける。
それは関係性の維持じゃなくて、本当に力になりたいから動いている。
葛藤は、スパイスだ
人間関係に気を遣う。
自分を優先したい気持ちもある。
その葛藤は、完全には消えない。
でもその葛藤こそが、人間らしさだと思っている。
正解のない問いを抱えながら、それでも自分なりのバランスを探していく。
嫌われないためじゃない。
自分が動きやすいように、関係性を整えていく。
それが50代の人間関係の設計だ。
その設計に正解はない。
でも自分なりの答えを持ちながら、今日も誰かと関わっている。
