時間の単価|50代が気づいた、思い出になる時間・ならない時間
思い出は、思ってもみない形で、あちこちに転がっている気がする。
選手との仕事も、思い出を作っている
選手が抱える問題を解決する手助けをする。
それが仕事の一部だ。
技術的なアドバイスをすることもあれば、ただ話を聞くだけのこともある。
うまくいった時もあれば、力になれなかった時もある。
でも最近、それを「仕事をこなしている」というより、「思い出を作っている」に近い感覚で捉えるようになった。
その場で終わる作業ではない。
後になって、何度も呼び覚まされる時間になっている。
そういえば、あの選手はこんなことで苦労して成長していったなあと、今いる選手と重ね合わせて、思い出に浸ることも増えた気がする。
音楽や写真が、思い出を呼び覚ます
最近、思い出を呼び覚ますツールとして、音楽や写真の力をつくづく感じる。
例えば、曲を聴くと、その頃の情景がふっと浮かび上がってくる。
切なくなることもある。
昔はそこまで感じなかったのに、今は一曲で当時の空気まで一緒に蘇ってくる感覚がある。
音楽は、思い出をリマインドするツールとして、かなり優秀だ。
写真や映像も同じで、見返すとその時の感情がそのまま蘇ってくる。
「思い出の品」を手元に残しておきたくなるのは、それが感情や記憶を呼び起こすツールだからかもしれない。
思い入れのない時間は、思い出にならない
一方で、思い出にならない時間もある。
仕事やキャリア、報酬に繋がりそうな人脈作りで食事に行っても、その後の関係性が続かなければ、ほとんど思い出にはならない。
今となっては、時間の浪費の方にカテゴライズされる。
誰と繋がっているか、誰に顔が利くか。
有名人との知り合い、優遇や特別扱い、仕事や契約の獲得。
若い頃は、そういう打算にも意味を感じていた。
でも、その打算への熱量は、いつの間にか薄れてきている。
だからこそ、代わりに「思い出になるかどうか」の方に、ウエイトが移ってきたのかもしれない。
同じ「食事に行く」という行為でも、相手との積み重ねがあるかないかで、後に残るものがまるで違う。
損得勘定だけで動いた時間は、記憶にすら残らないことが多い。
時間の単価は、思い入れで決まる
思い出を作る対象に、思い入れがあるかどうかで、そこに費やす時間の価値、いわば単価が変わるのかもしれない。
同じ1時間でも、思い入れのある相手と過ごす1時間と、そうでない1時間では、後から振り返った時の価値がまるで違う。
時間が大切になってきて、それをもっと有効に活用したいと考えるようになった。
複利が効く時間の使い方、掛け算になっていく時間の使い方を、望むようになった。
若い頃は無限にあった時間、50代は使い方の巧さを問われる
若い頃は、時間が無限にあるように感じていた。
時間が解決してくれることも多かったし、正直、持て余してもいた。
何かに思い入れがなくても、とりあえずやってみる余裕があった。
でも50代になると、時間はもう無限じゃないと、はっきり感じるようになる。
その代わり、今まで時間をかけて積み上げてきた経験や思考、メンターのような人脈という「ポイント」が貯まっている。
限られた時間を、その貯めたポイントでどれだけ良い思い出に交換できるか。
使い方の巧さが問われる時期に来たんだと思う。
整理整頓・再設計が、人生の解像度を上げる
貯めてきたそのポイントを、しっかり整理整頓して、再設計していく。
何にどれだけの思い入れがあるか、時間の単価はどれくらいなのか。
それを一度棚卸ししてみるだけでも、見え方が変わる。
そうすることで、効率よく、自分のやりたいことへと辿り着けるようになる。
人生の解像度が、少しずつ上がっていくのかもしれない。
