10日走らなかったら、再開が億劫になっていた|50代が気づいた、ルーティンの戻し方
痛みがあるうちは、走らない。そう決めていた。
10日ぶりに走ってみて、気づいたことがある。
走らない口実ができて、少し嬉しかった
出張中に腹斜筋を痛めてから、トレーニングもジョギングも制限していた。
正直に言うと、その間はどこかで楽をしていた。
走らない理由が、ちゃんとある。
それが、少し嬉しかった。
怪我の状態を確認するつもりで、トレッドミルに乗った。
軽く動かしてみると、案外いけそうだ。
そのまま、久しぶりにジョギングをした。
全力で走るわけではない。
ゆるいジョギングだ。
痛みがあるうちは、走らなくていい理由になる。
でも、走れる状態になったら、その理由はもう使えない。
走らないとしたら、それは怪我のせいではなく、ただの気分になる。
そこが、ひとつの境目だったと思う。
最初の5分は、正直しんどかった
再開は、億劫だった。
体が重い。気持ちはもっと重い。
今日は短めにしておこうか。
そもそも、今やった方がいいのか。
頭の中で、声が三つ重なった。
続けてきたのに、もったいない。
余白を持ってやるのが自分流だから、乗らなければ次でいい。
でも、ここで再開しないと、なあなあになってしまう。
どれも本音だった。
結局、いつも通りの20分を走った。
やった後は、たいてい気持ちがいい。
1日の価値も上がる。
必要なのは、やる気ではなかった。
ちょっと背中を押す作業だけだった。
2週間で、3kg・体脂肪2%増えていた
海外出張で、高カロリーなものを食べる機会が多かった。
それは言い訳にならないとしても、動いていた割には増えた。
2週間で3kg。体脂肪は2%。
最後の1週間、腹斜筋のせいで運動を制限していたのが、効いたのだと思う。
走れない間も、体は待ってくれない。
若い頃は、数日動けば戻せた気がする。
今は、その「数日」が「数週間」に変わった感覚がある。
気を許すと、体はすぐに変わる。
ごまかしが効かない体になった。
50代というのは、そういうことなのだと、あらためて思った。
続けられなくなる理由は、健康から来る
今回の怪我は、腹斜筋だった。
たいした怪我ではないのに、ルーティンは止まった。
怪我は、体だけでなく、生活のリズムまで崩していく。
50代になると、続けようと思ったところに、健康という制限がかかる。
運動に制限をかけなければいけない。
痛みで動かなくなると、筋力が落ちて、さらに痛みが出やすくなる。
膝の痛みなどでは、そんな悪循環に入る人もいる。
人によっては、通院や薬が必要になる。
やめたくて、やめるのではない。
やめざるを得ない理由が、健康が崩れることで生まれやすい。
だからこそ、睡眠、食事、適度な運動を考える必要がある。
やるべきことをやる。
制限をかけるところには、かける。
何を残して、何を手放すか。
その取捨選択が、50代には大事になってくるのかもしれない。
やりたいことをやれるのは、健康だから。
それが、基本になりつつある気がする。
火を消さない、という考え方
だから、怪我の間も、何もしなかったわけではない。
トレーニングの強度を落とした。
ジョギングをウォーキングに変えた。
患部の回復を最優先にして、痛みのない範囲で続けた。
内容は、物足りない。
それでも、やっている事実は残る。
続けてきたことの中身は、変えていい。
変えてはいけないのは、続けているという事実の方だ。
短い時間でも、やった事実があれば、それは継続だ。
大事なのは、強度ではなく、火を消さないこと。
一度途切れると、再開の一歩が重くなる。
重くなると、「もうやらなくていいか」の方へ引っ張られる。
今回、それを自分の中で実際に感じた。
時間をかけて戻ればいい
悪くなる時は、あっという間だった。
戻る時は、そうはいかない。
若くないのだから、すぐに変わるものでもない。
そういう自分を、受け入れる。
時間をかけて、少しずつ整えていく。
50代は、何事も積み上げる年齢なのだと思う。
10日経っても、くしゃみをすると、まだ少し痛い。
治りも、前より遅い。
それでも、今日も短くていいから動く。
火は、消さない。
→ まとめて読むなら|50代の体の整え方
