体を整える

最初の数歩で、体が動かなかった|50代が走ってみて気づいた、運動の許容範囲を広げるという考え方

バマ

気持ちは、まだ30代のつもりだった。
その思い込みが崩れたのは、少し走ってみた時だった。

ジムでも、階段でも、衰えには気づかなかった

最近は、宿泊先のジムでトレーニングをしている。
周りを散歩する。
エレベーターを使わずに、階段を上がる。

そうした日常の中では、体が以前のように動かなくなっていることに、あまり気づかなかった。
大人しくしていれば、衰えは見えない。
トレーニングのように、頻繁にやっていることでも、それほど感じなかった。

ただ、散歩やトレーニング、階段だけでは、運動量が足りない気がしていた。
走ることは、なんとなく疎かにしてきた。
50代が必死に走っている姿は、どうなのか。
そう思って、日本では走ってこなかった。

海外なら、気にしなくていい。
時間もあったので、宿泊先の駐車場で、ちょっと走ってみた。

最初の数歩で、体が動かなかった

ダッシュのつもりで踏み出した、最初の数歩で、体が動かない。

スピードが出ない。
加速がしづらい。
思ったように体が動かない。
すぐに疲れる。
反応が悪い。
体が固まりやすく、ストレッチをしても、なかなか緩まない。

こんなに走れないものなのか。
ダッシュのはずなのに、思ったほど加速しない。
これ以上加速しようとしたら、怪我をするかもしれない、とも思った。

心と体が、一致していない。
そこに、50代を感じた。

走る動きをしていなければ、衰えていく

トレーニングはしている。
だから、そこまでは落ちていないと思っていた。

でも、そうではなかった。

トレーニングをしていても、その運動をしていなければ、体は忘れていく。そう実感した。

ジムのランニングマシンなら、走ったことがある。
だから、走れているつもりでいた。
ただ、自分で走るとなると、最初の加速は、自分で作り出さなければいけない。

マシンは、加速させてくれる。
作っているのは、自分ではない。
そこに落とし穴があった。

大昔、人は生きるために、野原を駆け回っていたはずだ。
自分の体で動くことの大切さを、痛感した。

ちゃんとできないなら、やらない。そう考えていた

その後も、何度かダッシュを続けているうちに、体が少し馴染んできた。
筋肉がスムーズに動き始めた感じがした。
だからこそ、刺激を入れて、体を呼び起こさなければと思った。

ただ、これまでの自分には、条件があった。
その運動が上手くなるようにやること。
ちゃんとゲームとして成り立つこと。
決めた時間をクリアすること。
向上を目的にしている部分が、強かった。

その条件が揃わないなら、やらない。
やらない日が続くと、やらないほうへ、どんどん傾いていく。

ちゃんとしなくても、やったとカウントする

大事なのは、1時間やったという事実だったりする。
中身は、そこまで必要ない時もある。

重いものを上げた満足感。
しっかり筋肉に効かせたという事実。
1時間メニューをこなしたという事実。
そういうことが大事なセッションも、ある。
ウォーキングに近いジョグでも、1時間やった事実が大事な場合もある。
休みながら距離を走る。
10分だけやる。
それも、やったとカウントする。

ハードにやった時の満足感は、それはそれでいい。
ただ、軽く30分やっても、やり切った満足感はある。
時間を有効に使ったとも言える。
体に刺激を入れられた、という達成感もある。

価値観は、考えようだ。
運動への価値観のバリエーションを増やして、満足度を上げていきたい。

入れすぎない。その塩梅が、50代の体だった

ただ、ダッシュを多く続けると、翌々日に筋肉痛が来て、体が固まってしまう。
その塩梅が大事になる。
そこが、50代の体というものだ。

だから、短いダッシュを、たまに公園で入れる。
5秒でも、やったとカウントする。
家の近くだから、すぐにできる。
近所の目を気にしなければ、だけれど。

少しでもやったという事実にフォーカスすることが、50代には必要なのかもしれない。

→ まとめて読むなら|50代の体の整え方

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

ABOUT ME
バマ
バマ
50代の再チャレンジャー
アスレティックトレーナー/トレーニングコーチ。 プロとアマチュア、両方の現場で四半世紀以上、選手と向き合ってきた。 50代になって気づいた。自分を一番蔑ろにしていたのは、自分自身だった。 体を整え、思考を整え、暮らしを整え、そして自分を整える。 守りから、前へ。
Recommend
こちらの記事もどうぞ
記事URLをコピーしました