昔のテレビのアンテナみたいな体になった|50代が始めた、自分の体との付き合い方
寝ようとすると、肩が主張してくる
ここ最近、夜になると肩の調子が気になる。
ある時は痺れるような感じがあり、ある時は痛みとして出る。
またある時は、ただ張っているだけのこともある。
日によって出方が違う。
寝る体勢を変えると軽くなることもあるが、しばらくすると別の場所が気になり始める。
眠りが浅くなり、朝の目覚めにも影響する。
病院に駆け込むほどのものではない。
ただ、鬱陶しい。
この鬱陶しさが、なかなか消えない。
昔は「肩が張ってるな」で終わっていた
若い頃にも肩の疲れはあった。
ただ、その頃の感覚はもっと単純だった。
肩が張っているな、と思う。
少し動かす。
寝る。
翌日には戻っている。
それだけで完結していた。
神経の症状というものを、自分の体の話として考えたことはなかった。
今は違う。
張りなのか、痛みなのか、痺れなのか、自分でもうまく言い分けられない。
種類が増えて、境目が曖昧になった。
昔のテレビのアンテナみたいだ
この状態を一番うまく言い表せるのが、昔のテレビのアンテナだと思う。
角度を少し変えると映りが変わる。
近づけると良くなり、離れると悪くなる。
どうしてそうなるのかは正確にはわからない。
それでも、今日はこの位置でいい、という当たりが見つかる日がある。
体もそれに近い。
この体勢なら楽になる。
この動かし方なら軽くなる。
理屈より先に、当たりを探している。
しかも、その当たりは日によって変わる。
昨日効いたことが今日は効かない。
新品なら、スイッチを入れれば映る。
中古はそうならない。
毎日、少し調整がいる。
五十代の体というのは、そういうものらしい。
それでも、重量は落としていない
トレーニングの強度は、今のところ維持している。
正直に言えば、落としたくない。
積み上げてきたものを自分で崩すような感覚があるからだ。
ただ、それだけが理由ではない。
症状はあるが、悪化はしていない。
今は崩す必要がないと見ている。
もちろん、この見立てが常に正しいとは思っていない。
無理を通した先に、まともに動かせない体が待っている可能性はある。
だから、必要だと思えば休む。
ゼロか百かの話ではない。
やるか、やめるか。落とすか、維持するか。
そのどちらかしかないと考えていた頃より、今の方が選択肢は多い。
調整法を探すこと自体が、面白くなってきた
ストレッチを試す。
動かし方を変える。
寝る前に少し体をほぐす。
寝る体勢を調整する。
どれも完治には至っていない。
いまだに波はある。
それでも、この作業が最近は少し面白い。
どの角度で、どの距離で、どんな調整をすれば、自分の体が応えてくれるのか。
アンテナの位置を探しているのと同じことをしている。
考えてみれば、誰かの体のことを考えてきた時間が長い分、その対象が自分になっただけの話なのかもしれない。
うまくいった日は、なぜうまくいったのかを考える。
だめだった日も同じだ。
答えは出ないが、少しずつ当たりの範囲が狭くなっている感覚はある。
自分の体のイロハを、五十代のうちに
こうして探っていることは、たぶん今後の資源になる。
自分の体がどう反応するのか。
何をすると良くなり、何をすると悪くなるのか。
それを知っておくことは、これから先、長く付き合っていくうえで効いてくる気がしている。
そしてもう一つ。
これは自分で対処できる範囲なのか、人の手を借りるべき水準なのか。
冒頭に書いた通り、今のところ病院に駆け込むほどではないと思っている。
ただ、その線引きが正しいかどうかは、結局自分で見極めるしかない。
頼らないことが強さではないし、何でも頼るのが正解でもない。
その都度、判断できる状態を持っておくこと。
それが、誰かに依存せずに自分を大切にしていくということなのだと思う。
体の状態が、これから先の生活の土台になる。
日々少しずつ調整していく。
その積み重ねが、たぶん老後の準備そのものだ。

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