シンプルにすればいいのに、複雑にしていたのは自分だった|50代が気づいた、数字と理由の罠
どうしてあの選手のパフォーマンスは伸びないのか。
専門外の人ほど、明確な理由を知りたがる。
数字は、答えをくれない
体重、体脂肪、ジャンプ高。何か原因があるはずだと、数字を求められることが増えた。
数字が欲しくなる気持ちはわかる。
目に見えるものがあれば、話がわかりやすくなるから。
でも、パフォーマンスはそんなに単純なものじゃない。
数字を知ったところで、伸びない理由はいくつも重なっている。
経験と、複合した要素をどれだけ精通しているか。
そこがプロの領域だと思う。
目に見える数字だけで判断する傾向は、いささか危うい。
若手には、逆にシンプルが効く
一方で、若手のトレーニングでは、逆にシンプルにする方がうまくいく。
数少ないメニューを、集中力が切れないうちに短時間で終わらせる。
種目の理屈をいちいち説明しても、まだ体で効果を感じられる段階じゃない。
まずは重いものが上がった、効いている感じがする。
そうやって自分で体現できることを増やす方が、若手には効果が高い。
形にこだわっても、それを体で感じられなければ、トレーニングの楽しさも変化もわかりづらいままだ。
複雑な説明より、シンプルな量をこなす方が、伝わることがある。
数字に、踊らされていた
シンプルにすることの価値は、わかっているつもりだった。
それでも最近、自分も数字に踊らされていたことに気づいた。
数字がこうだからと理由をつけて、条件を変えてみたことがある。
上司から数字を出してくれと言われて、それが本当に必要な数値なのか、念のためなのか、判断がつかないまま出すこともある。
それが余計な仕事を増やす。
うまくいかない要因はたくさんある。
その数字だけで判断して変えたところで、根本の原因が変わっていなければ、ただ踊らされているだけだ。
テクノロジーでパフォーマンスは数字化されてきている。
だからこそ、目に見えるものだけで判断する考え方が、自分を追い込むこともある。
ある意味、自爆しているようなものだ。
勝手に考えて、勝手に変えて、勝手に迷って、勝手に苦しくなる。
そんな環境に、いつのまにかなっていた。
複雑にする心地よさ
数字を扱えること、色々なエクササイズを知っていること。
もちろん必要だ。
でも本当に解決できることの多くは、もっと単純だったりする。
基本的なことをしっかりやる。
単純に、どう思っているか聞く。
それだけで済むことも多い。
あれこれ考える作業自体が、心地いい。
仕事をしている感じがするし、何か貢献できている気にもなる。
付加価値を作っている、という感覚。
理由を探し、仮説を立て、検証する。
その一連の作業に、やりがいすら覚える。
でも実は、何もしないのが正解の場合もある。
何もしないことは、サボっているように見られやすい。
だからこそ、余計に理由を積み上げてしまう。
その「やってる感」を求めていたのは、選手のためというより、自分のためだったのかもしれない。
シンプルに聞けばいい
数字も理由も、扱えることに越したことはない。
でも、複雑にすることが目的にすり替わっていないか。
時々、自分に聞き直す。
考えることに満足しているのは自分で、相手が実際に満足できているかは、また別の話だ。
新しいメソッドやテクノロジーを学ぶことは大事にしながらも、まずは自分にできることを、思った通りにやってみる。
シンプルに聞いて、シンプルに答える。
それだけで届くものが、案外多い。
考えすぎるほど、話はややこしくなる。50代が考えすぎて疲れる理由も、突き詰めれば同じところにあるのかもしれない。
