うまくいかないことが、いい思い出になった|50代が気づいた、余白を楽しむという生き方
南国へ向かう出張の便を、空港で待っていた。
搭乗ゲート前は、旅行気分に包まれていた。
子供たちにお菓子を配って回る大人、母親同士で世間話をする人たち、車の手配や旅程を確認し合うグループ。
自分の子供でなくても、さりげなく気遣う大人の姿もあった。
ビッグイベントだからこその共通項というか、これから始まる思い出づくりの空気が、待合スペース全体に漂っていた。
10時20分発の便は、11時発に変わっていた。
少しざわついたけれど、それ以上に南国へのワクワク感の方が強かったのか、大した問題にはなっていないようだった。
出張だったので、間に合えばそれでいいという程度で、そこまで気にはならなかった。
その空気を眺めながら、ふと思った。
こういう時間の使い方こそが、心を豊かにするんじゃないか。
40代までの自分は、予定が崩れることを「損」だと思っていた
昔、旅行の航空券を予約した時のことだ。
手続きの途中で、なぜか苗字と名前が逆に入力されてしまっていた。
気づいた時にはもう遅かった。
席は取れておらず、お金だけ払っている状態。
安さを求めて取ったチケットだったのに、キャンセルして買い直すしかなかった。
出発が近づいていたタイミングだったこともあり、買い直したチケットは当初より30万円も高いものになった。
かなり痛い出費だった。
別の旅行では、ある施設でレンタルした物を返し忘れたこともある。
気づいたのは夜。
海外だったので、ナビもない道を1時間かけて戻った。
不安な気持ちを抱えながら、なんとか返却先にたどり着いた。
当時は、こういうことが起きるたびに「損した」「ついてない」と感じていた。
思い通りにいかないことは、ただのマイナスだった。
今は、うまくいかなかったことの方が記憶に残る
不思議なもので、今でもあの旅行の話になると、必ずあの予約ミスとレンタル品の話が出てくる。
うまくいかなかったことほど、記憶に残りやすい。
困難や失敗が、旅の味になっている。
うまくいった部分より、思い通りにいかなかった部分の方が、鮮明に、そして愛おしく思い出せる。
人生も、案外そうなのかもしれない。
遠回りした方が、味が出る。
失敗が、経験値になっている
予約ミスもレンタル品の返し忘れも、当時は痛い出来事だった。
でも今振り返ると、あの失敗のおかげで身についたことがある。
予約は必ずダブルチェックするようになった。
旅行保険にも入るようになり、万が一の損失をカバーする発想を持てるようになった。
忘れ物がないか、出発前に家族で確認し合う習慣もできた。
失敗は、ただの痛い記憶で終わらなかった。
次への備えとして、ちゃんと自分の中に残っている。
そんなことを考えながら、ふと目の前の光景に意識が戻った。
20代後半で、あの旅行を選んだ家族たち
待合スペースには、20代後半くらいの若い家族連れが10家族ほどいた。
まだ若いうちに、それなりの出費をしてでも、みんなで旅行に行くという選択をしている。
自分の20代後半を振り返ると、まだ家族もいなかったし、旅行にお金を使うより、自己投資を優先していた時期だった。
あの頃の自分に、旅行にお金を使う余裕があったかというと、正直わからない。
生活は決して楽ではないだろう。
それでも、どうにかお金を捻出して、家族で旅に出るという選択をした彼らを見て、素直にいい選択をしているなと感じた。
損得勘定より、柔軟さを選ぶ
40代までの自分なら、便の遅延にもイライラしていたかもしれない。
今は、まあこれも移動のうちだと思える自分がいる。
損得勘定や完璧主義から、少しずつ抜け出しつつあるんだと思う。
予定が崩れることも、遠回りも、柔軟に受け止める。
その考え方の変化が、暮らしを豊かにしているのかもしれない。
経験や思い出に使うお金は、無駄にはならない。
思い通りにいかないことさえも、いつか誰かと笑って話せるネタになるし、次の自分を育てる経験値にもなる。
これからも、そうやって不確実性を楽しめる自分でいたい。
