損得勘定を手放したら、時間に彩りが増えた|50代が気づいた、奢り方の変化

バマ

新幹線での、ちょっとした贅沢

先日、新幹線での移動中、駅のスタバでマンゴーフラペチーノを買って、車内で飲んだ。
窓側の席で、隣には誰も座らなかった。
3時間ほどの移動時間、ちょっとしたプライベート空間の中で、カフェにいるような気分でくつろげた。

決して高い飲み物じゃない。
それでも、以前の自分なら、移動中はペットボトルのコーヒーで十分だと思っていたはずだ。
今回は、少し値の張る一杯を選んだ。
その背徳感みたいなものが、同じ移動時間に、ちゃんと色をつけてくれた気がする。

部下と食べた、駅のパスタ

もう一つ、似たようなことがあった。
移動前、部下と駅で40分ほど時間があったので、一緒にパスタを食べた。
急いで入った店で、決して特別なパスタじゃない。
それでも、いつも頑張ってくれている部下に、ちょっとしたお礼ができた満足感があった。
忙しい合間を縫って一緒に食べる、というだけの時間が、思っていたよりずっと心地よかった。

消えていた、損得勘定

どちらも、それほど大きな出費じゃない。
でも、以前の自分なら、こういう時に頭をよぎることがあった。
この人に奢って、見返りはあるんだろうか。
いくらくらいまでなら出していいものか。
財布の中身を気にしながら、損得勘定が先に立っていた。
誰かにご馳走するという行為に、無意識に「費用対効果」を求めていたんだと思う。
仕事柄、常に結果や効果を測る癖がついているから、こういう小さな場面にまで、その物差しを持ち込んでいたのかもしれない。

今回は、そういう計算が浮かばなかった。
目的を達成するための一食、というより、良い時間を過ごせたという満足感の方が、自分の中で心地よかった。
相手が喜んでくれたかどうかより先に、自分自身が「この時間を持ててよかった」と思えた。
それだけで、十分だった。
年齢を重ねて、使える時間そのものが有限だと実感するようになったことも、この変化に関係している気がする。

貸しではなく、自分の幸福のために

以前は、誰かに奢るということに、どこか「貸しを作る」ような感覚があった。
好意を示しながら、その裏でわずかに見返りを期待していたんだと思う。
今は違う。
奢ることは、相手のためというより、自分が幸福になるための行為に近い。
ただ、それが行き過ぎて、相手にとってお節介になったり、こちらの自己満足で終わったりしないよう、そこだけは気をつけている。
あくまで、相手が心地よくいられることが前提だ。

タイミングという、隠れた塩梅

同じ移動でも、同じ食事でも、そこにちょっとした彩りを添えるだけで、気分がまったく違ってくる。
その積み重ねが、1日の充実度を底上げしていくんだろうと思う。

ただ、お金をかければいいというわけでもない。
移動のたびに同じようにスタバで買っていたら、それはすぐに当たり前になって、満足度は横ばいになり、やがて下がっていくはずだ。
特別な一杯だからこそ、心が動く。
だから、タイミングも重要になる。
頻繁にやりすぎず、ここぞという時に使う
その塩梅は、結局、自分次第なんだと思う。
毎日贅沢するのではなく、ここぞという移動、ここぞという相手を見極めて、そこに彩りを添える。
その見極め自体も、経験を積むほど磨かれていく感覚がある。

損得を手放したことが、変化そのもの

暮らしを彩る方法は、いろいろある。
損得勘定を手放して、良い時間を過ごすことに素直にお金や時間を使えるようになったこと自体が、50代になって自分を再設計してきた中で、確実に変わった部分なんだと思う。
若い頃は、何にお金を使うかを、常にコストパフォーマンスで測っていた気がする。
今は、目の前の時間そのものに、どれだけ色をつけられるかを考えるようになった。
幸福な時間を過ごせば過ごすほど、暮らしそのものが豊かになっていく。
そう感じた一日だった。

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ABOUT ME
バマ
バマ
50代の再チャレンジャー
アスレティックトレーナー/トレーニングコーチ。 プロとアマチュア、両方の現場で四半世紀以上、選手と向き合ってきた。 50代になって気づいた。自分を一番蔑ろにしていたのは、自分自身だった。 体を整え、思考を整え、暮らしを整え、そして自分を整える。 守りから、前へ。
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