気づいたら、やっていた|50代が積み上げてきた、疲れを手放す自分だけの習慣
疲れを取るために、特別なことをしているわけじゃない。
でも振り返ってみると、色々やっている。
意識してやっているというより、気づいたらそうなっていた、という感じのものが多い。
それが積み重なって、50代の自分を支えている。
疲れを手放す手段は、3つに分かれる
大きく整理すると、こんな構造になる。
吐き出す——トレーニング、ストレッチ、ランニング。フィジカルにストレスをかけて、程よく疲れることで、メンタルの悪いものを一緒に出す感覚がある。
重いものを持ち上げた後、汗をかいてサッパリした後、嫌なことを忘れていることに気づく。
切り替える——お菓子、睡眠、動画、アニメ。
今の現実から意図的に距離を置く。
笑ったり、別の世界観に没入したりして、一時的にリセットする。
気づいたら悩んでいたことを忘れていた、それだけで十分だと思う。
立ち返る——家族とのたわいもない会話、妻と買い物に行く、娘の世話をする。
仕事でメンタルがきていても、「何のために働くか」を思い出させてくれる時間がある。
たわいもない会話の中に、働く理由がある。
特別なことじゃなくていい。
どれも効く。
でも、全部が同じように機能するわけじゃない。
回復にも、代償がある
ここが大事なところだ。
どの手段にも、使うために何かを差し出している。
お菓子は、体脂肪を増やすリスクがある。
トレーニングは、フィジカルを消耗する。
時間を使う習慣は、余白がなければ成り立たない。
家族との時間は、相手の状態に左右される。
回復のためにやることが、別の何かを消費している。
だから、余白がある時にしか使えない手段がある。
体が疲れ切っている時にトレーニングはできない。
家族の機嫌が悪い時に、家族の時間はむしろ負担になる。
回復手段を選ぶ時、無意識に「今の自分に余白があるか」を確認しているんだと思う。
コントロールできるものを、軸に置く
その中で、トレーニングだけは別格だ。
仕事がうまくいかない日も、家族関係がうまくいかない日も、トレーニングだけは自分で完結する。
誰かの状態に左右されない。
やると決めた自分が、やるだけだ。
その日のトレーニングが終われば、「今日も自分の軸に投資できた」という事実が残る。
選手を見ていてもそう思う。
結果が出ない時期でも、自分でコントロールできる準備だけは続けている選手が、最終的に立て直せる。
他が全部崩れても、1日の価値をそこで担保できる。
だからこれが回復習慣のメインになっている。
コントロールできないものを軸に置くと、それが機能しなかった時に何も残らない。
コントロールできるものを軸に置くから、確実に機能する。
50代になって、余白が読めるようになってきた
フィジカルの余白は、体重・体脂肪・体調・見た目から感じ取る。
50年以上付き合ってきた自分の体だから、なんとなくわかる。
家族の余白は、表情・言葉・雰囲気から察する。
長い付き合いがあるから、言葉にならないものが読める。
仕事の余白は、人間関係・仕事量・それぞれのキャパシティから想像する。
最大閾値までどのくらい余裕があるか、50代になればある程度は予測できるようになってきた。
それぞれの余白を読んで、使える手段を選ぶ。
これが、気づいたら積み上げてきた、自分だけの疲れとのつきあい方だ。
意識してやってきたわけじゃないが、50代になってやっと、それが見えてきた。
どんな疲れかを分析して、うまく対処して、健康的に過ごす基礎をこの50代で作っていく。
それが、その先の年代を生きる上で、一番大切な準備なのかもしれない。
→ まとめて読むなら|50代の暮らしの整え方
