体の痛みは、眠れない理由じゃなかった|50代が気づいた、睡眠を根こそぎ奪う構造
睡眠を、人生の最優先事項にしている。
それでも昨夜は、眠れなかった。
脱力した瞬間に来る
左肩の神経痛が、まだ完全には抜けていない。
日常生活では問題ない。
歩いても、動いても、痛みはない。
だが、眠ろうとした瞬間だけ、やってくる。
布団に入って、体の力を抜こうとする。
その「脱力」の瞬間に、左肩からじわっとした不快感が広がる。
痛みというより、嫌な感じ、と言った方が近い。
でもそれが、眠りに集中することを許さない。
1時間以上、格闘した
最近は、肩が気になりながらも、いつの間にか眠りについている夜が続いていた。
すぐにではないけれど、なんとなく気になるうちに、寝ている感じだった。
昨夜は違った。
どの向きで寝ても、来る。
右を向いても、左を向いても、仰向けになっても、同じだった。
どうにかしようと、肩をストレッチした。
マッサージした。
腕を動かしてみた。
それを繰り返している間に、気がつけば1時間以上が過ぎていた。
7時間眠るつもりだった夜が、結局5時間ほどになった。
しかも格闘の疲れが混ざった、質のいいとは言えない5時間だった。
昨日のトレーニングが1日経って筋肉痛に変わっていたせいなのか、
それとも体全体がいつも以上に過敏になっていたせいなのか。
はっきりとした理由はわからないが、体の不快感がいつもより強く出ていた夜だった。
痛みより厄介なものがあった
ここで気づいたことがある。
「痛みがあるから眠れない」という理解は、正確じゃなかった。
正確に言うと、痛みは「眠ろうとする行為そのもの」を妨げていた。
脱力しようとする→痛みが来る→意識が痛みに向く→眠れない→また脱力しようとする。
このループから、抜け出せなかった。
さらに厄介なのは、その原因を解決できないもどかしさだった。
物事でも、解決できずに気になって眠れない夜がある。
それと同じことが、この左肩で起きていた。
無視しようとしても、寝るときだけ顔を出してくる。
これといった解決策もない。
症状の度合いも、その日の左肩の機嫌次第だ。
解決できない苛立ちが、意識をむしろはっきりさせていく。
眠ろうとすればするほど、眠れなくなっていった。
医学的にも、痛みと睡眠の関係はこの悪循環として説明されている。
痛みが睡眠を妨げ、睡眠不足になると今度は痛みの感受性が高まる。
より痛みを感じやすい体になって、さらに眠れなくなる。
一方向の因果関係ではなく、双方向の罠だった。
時間を確保しても、意味がなかった
50代になってから、睡眠の質が変わってきた実感がある。
以前より「寝た感じがしない朝」が増えてきた。
睡眠の質が下がると、疲労回復に必要な成長ホルモンの分泌が減り、身体の修復が遅れる。
時間を確保しただけでは、リカバリーができない朝になる。
そしてその影響は、翌日にじわじわと出てくる。
トレーニングの質が落ちる。
集中力が続かない。
体がだるい感じが、1日抜けない。
自分の場合、眼精疲労がいつも以上に出てくる。
睡眠不足が目にくるタイプなのかもしれない、と思っている。
7時間確保しても、その中身が格闘だったら意味がない。
睡眠において、時間は前提でしかない。
質を守れなければ、時間は数字でしかなかった。
体が整ってこそ、睡眠が機能する
神経痛は、以前より確実に良くなっている。
日常生活に支障はなくなった。
完治も近い気がしている。
それでも昨夜の1時間以上は、改めて気づかせてくれた。
自分を好きでいるということは、自分の体の機嫌を損ねないようにメンテナンスしてあげることだと思っている。
それが日常に反映されていく。
昔のように、無茶しても何も起きない、ということはもうほとんどない。
ある意味、自分自身も正直に主張するようになったのかもしれない。
睡眠を最優先にしているからこそ、ここが崩れると全部崩れる。
体が整ってこそ、睡眠は機能する。
完治が近いからこそ、今夜こそちゃんと眠れると思っている。
→ まとめて読むなら|50代の体の整え方
