夜の終わり方を変えた|50代が気づいた、朝を作るのは夜だという話
寝たら次の日になってしまう。
仕事がしんどかった頃、夜の余白がご褒美だった。
ストレス発散のために、その時間をできるだけ多く持ちたかった。
それがメンタルのリカバリーだと思っていた。
夜を手放すのが惜しかった
今思えば、夜をギリギリまで使おうとしていた。
1日の終わりをできるだけ先延ばしにしていた。
動画を見て、アニメを見て、ゲームをする。
仕事がしんどいから、ゲームでストレス発散するのは必要なことだと思っていた。
その行為を、自分で正当化していた。
ご褒美デザートと同じだ。
カロリーを必要以上にとって太っても、「ストレス発散のためにフィジカルを犠牲にしなきゃ」と都合よく解釈する。
夜のゲームも、それと同じだった。
でもゲームにハマりすぎて、気づいたら朝方3時になっていたこともある。
睡眠不足で翌日を迎えて、むしろストレスになっていた。
ご褒美のつもりが、自分を追い詰めていた。
その頃の朝は、1日のスタートじゃなくて、夜の続きだった。
夜1時間より、朝1時間の方が価値が高い
追い詰められた時に、ふと考えた。
夜に時間を使うより、朝に使った方がいいんじゃないか。
夜に何かをやろうとしても、脳はすでに1日分疲れている。
体感としても、そうだった。
夜の1時間と、朝の1時間では質がまるで違う。
脳科学的にも、朝は脳のゴールデンタイムだという。
起床後の数時間は、夜とは思考の質がまるで違うと言われている。
だったら、夜に使っていた時間を朝に移せばいい。
その発想が、夜の終わり方を変えた。
9時に寝ると、1日が変わった
朝5時に起きて、7〜8時間の睡眠を確保しようとすると、9時には寝る計算になる。
最初は「9時に寝るのか」と思った。
でも考えてみれば、夜9時以降に何か大切なことをしていたかというと、そうでもなかった。
夕食を7時頃に済ませる。
その後の時間は消化しながらの余白時間。
ストレッチをしたり、翌日の準備をしたり、ぼんやり過ごしたり。
そして9時に寝る。
夜の余白を削ったんじゃなくて、余白ごと朝に移した感覚だった。
最初の1週間は、眠れなかった
正直に言うと、最初の1週間は眠れなかった。
9時に布団に入っても、体が起きたままだった。
朝5時のアラームも、最初は葛藤があった。
「もう少し寝てもいいか」という引力は、最初の頃は強かった。
それでも続けられたのは、目的があったからだ。
通訳の仕事を任された時期と重なっていた。
脳のコンディションを最大にしなければ、太刀打ちできない仕事だった。
「やらなければならない理由」が、習慣化のスピードを上げた。
切羽詰まった目的が、体のリズムを塗り替えた。
意志力で続けたんじゃない。
状況が、そのスケジュールにシフトさせてくれた。
余白が朝に来ると、1日全体が変わる
朝5時に起きると、出発まで2〜3時間ある。
ボサノバをかけながらコーヒーを飲む。
ブログを書く。
本を読む。
トレーニングに行く。
その日の時間量に合わせて、やることを選ぶ。
以前の朝にはなかった時間だ。
この余白が朝にあるだけで、1日のスタートが変わる。
「今日もいい朝だった」という感覚が、1日の土台になる。
夜を惜しんでいた頃とは、1日の密度がまるで違う。
朝を作るのは、前日の夜だった
夜の終わり方を変えてから気づいたのは、朝の質は夜で決まるということだ。
睡眠が十分にとれていれば、朝の脳は動く。
夜の余白を朝に移せば、1日の使える時間が増える。
夜をどう終わらせるかが、翌朝を作っている。
「もう少し起きていよう」という夜の選択が、翌朝の余白を奪っていた。
それに気づいてから、9時に電気を消すことに迷いがなくなった。
夜の終わり方を変えると、朝が変わる。
朝が変わると、1日が変わる。
たったそれだけのことが、50代の暮らしを整えた。
