買うまでが、一番楽しかった|50代が11年乗って気づいた、欲しいの正体
人生最後の新車、と決めて買い物を始めた。
その瞬間から、車選びが楽しくなった。
あの3ヶ月のことを、今でも覚えている
最初に決めたのは「家族で快適に旅行できる、室内が広くて運転しやすいミニバン」という条件だった。
候補はすぐに二つに絞られた。
一つは、誰もが知る人気ブランドのミニバン。
ずっと憧れていた車だった。
もう一つは、予算に少し近い別ブランドのミニバン。
性能は悪くない。
でも、正直に言えば妥協だった。
人生最後の新車という大義名分があったから、多少の背伸びは妻も認めてくれていた。
それでも、憧れのミニバンは新車では予算を大きく超えた。
中古という選択肢もあったが、長く乗るなら新車がいい。
悩んだ末に、今の車を新車で買うという方向に決まった。
でも、そこからの3ヶ月が一番楽しかった。
カタログを広げて、予算内でどのオプションをつけるか考える。
メーカーの公式動画を見て、細かい機能を調べる。
そうしながら、ふと憧れのミニバンのサイトを開いてしまう。
新車では買えない。
わかってる。
でも、動画を見るのをやめられなかった。
未練を断ち切れないまま、3ヶ月が過ぎた。
今思えば、あの時間が買い物の中で一番豊かだった。
決断と、その後に来たもの
試乗してみると、今の車の感触は悪くなかった。
長く乗ることを考えると、やはり新車がいい。
そう決めて、購入した。
貯金を少し削る、背伸びした買い物だった。
ところが、購入してからの気持ちは想像と違った。
高揚感より先に、罪悪感が来た。
生活に余裕がある中での購入ではなかった。
この選択は正しかったのか。
欲の方が上回ったんじゃないか。
その葛藤が、購入後5年ほど続いた。
買うまではプラスだった気持ちが、買った途端にマイナスに転じた。
毎日乗るたびに、あの背伸びを思い出した。
それでも乗り続けるうちに、車は当たり前の風景になっていった。
11年後の逆転
10年目を過ぎたあたりから、感覚が変わってきた。
費用対効果が、ようやく上回り始めた。
乗れば乗るほど、一日あたりのコストが下がっていく。
買って良かったという満足度が、じわじわと上がってきた。
今は、20年乗り潰すつもりでいる。
家計も、あの頃の心配が嘘のように落ち着いた。
もし途中で手放さなければいけない状況になっていたら、あの選択は間違いだったことになる。
そうならずに済んだから、今は良かったと思えている。
間違いじゃない方向に、運よく進んでくれた。
そういう感じだ。
「欲しい」の時間の正体
11年乗って気づいたことがある。
今の自分にとって、車はもう移動手段だ。
そこに大きなお金をかける理由は、もうない。
でも、あの3ヶ月は本物だった。
カタログを眺めて、動画を見て、オプションを悩んで、手の届かない憧れにまだ未練を持っていたあの時間。
あれは、何かを「欲しい」と純粋に思える、まだそういう自分がいた時間だったのかもしれない。
買い物の楽しさは、手に入れた後にあるんじゃなかった。
「欲しい」という状態そのものに、価値があったんだと思う。
ただ、一つ言えることがある。
余力がある時に買うのと、なんとか購入するのでは、心理的なストレスがまるで違う。
欲しい気持ちが先走って、購入後の不安が長く続くと、正しい判断ができなくなる。
毎日が楽しくなくなってしまう。
若い頃は、買うためにどうにかしようとする。
気づかないうちに、お金に支配される状況になっていた。
マイホーム、マイカーと重なれば、そのプレッシャーはさらに大きくなる。
世の中の構図を知らなかった、若気の至りだったと思う。
でも、そこで大きく失敗しなくてよかった。
買う楽しさも、旅行に行くまでの楽しさも、経済的な余裕があってこそ味わえる。
このことは、子供たちにはしっかり伝えていきたい。
人生はこういうバランスを、失敗しながら学んでいくものなのだろう。
そして50代という時期に、改めて整理し直す。
そういうことなんだと、つくづく思う。
→ まとめて読むなら|50代の暮らしの整え方
