思考を整える

人を見る目も、老眼になってきた|50代が気づいた、ピントが遠くに合うようになったということ

バマ

老眼になると、近くにピントが合わなくなる。
人を見る目も、50代になって似たような変化が起きている気がする。

食堂で聞いた愚痴

昼食をとっていた時、隣に座った同僚が話しているのが聞こえてきた。

どうやら悩みがあるらしく、同じ部署のおしゃべりな人のことが気になって仕方ないという内容だった。

仕事中も話しかけてくる。
喋り出したら止まらない。
他の人にも話を広げていく。
一度気になり始めると集中できなくなってくる、という話だった。

人と関わる仕事をしていると、色々なことで悩むんだなと思いながら聞いていた。

話はやがて、「あの人、空気読めないよね」という方向に流れていった。

空気を読むとは何か

空気を読む、という言葉はよく使われる。

でも少し考えると、空気を読める人と読めない人の違いは、視点がどこにあるかだと思う。

空気を読める人は、自分より他人や場全体を意識して動く。
空気を読めない人は、自分を中心に動く。

どちらが正しいというより、視点の置き場所が違うだけだ。

ただ、なぜその人がそうなのかは、表面を見ているだけではわからない。
育ってきた環境、積んできた経験、今いる立場。
そういうものが、その人の視点を作っている。

そのおしゃべりな人が「空気読めない」と言われるのも、悪意があるわけでも、意地悪なわけでもなく、その人が見てきた世界が、周りとズレているからなのかもしれない。

若い頃は、平均化していた

正直に言うと、若い頃の自分なら、隣の同僚の話に素直に共感していたと思う。

「確かに、あれだけおしゃべりなら気が散るよな。」
「組織で働いているんだから、もう少し空気読んで欲しいよな。」

そこで終わっていた。

組織の中で働く以上、ある程度みんなが同じ空気を共有できることが大事だと思っていた。
それが円滑に動く条件だと信じていたし、そこからはみ出す人を、どこかで問題として見ていた。

全体を平均化しようとするマインドが、自分の中に強くあった。

ピントが、遠くに合うようになった

近くの表面だけを見るのではなく、その人を取り巻くもの全体が、なんとなく視野に入るようになってきた。

育ってきた環境。
積んできた経験。
今いる立場。
周りとの関係性。

心の中まではわからない。
でも、バックグラウンドを含めて見ると、「そうか、だからそうなのか」が浮かんでくることが増えた。

近くの振る舞いより、遠くにある背景に自然と目がいくようになった。

ピントの合う距離が、変わってきたのだと思う。

平均化より、バリエーション

今の自分がその場にいたら、少し違う見方をしていると思う。

おしゃべりというキャラクターは、時として場の雰囲気を明るくする。
他の人が持っていない何かを生み出す可能性もある。

うるさくて集中できないなら、本人に伝える。
場所を変えて話してもらう。
少し自重してもらう。
方法はある。

でもその前に、その人を「問題」として見るのではなく、
どう活かせるかを考えられるようになったのが、50代の変化だと思っている。

全員を同じ色に揃えるより、それぞれのバリエーションをどう組み合わせるか。

そういう見方が、少しずつ育ってきた気がする。

それでも、感情が入る場面はある

ただ、全てをフラットに見られるわけではない。

注意しても変わらない。
周りへの迷惑に気づかない。
そういう場面になると、さすがに感情が入る。
いくらバックグラウンドを理解しようとしても、組織の中で人に迷惑をかけ続けることは、倫理観として違うと思っている。

人間だから、感情が入るのは当然だ。
ただ、その感情をそのまま評価にしないように、と意識するようにはなった。

人を見る目は、経験と年齢で育つ。

完成することはないし、まだ途中だ。
それでも、ピントの合う距離が変わってきたことは確かだと思っている。

近くの表面だけを追っていた頃より、少し遠くが見えるようになった。

それで十分だと、今は思っている。

思考の整え方の順番は、50代 考えすぎて疲れる理由にまとめている。

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ABOUT ME
バマ
バマ
50代の再チャレンジャー
アスレティックトレーナー/トレーニングコーチ。 プロとアマチュア、両方の現場で四半世紀以上、選手と向き合ってきた。 50代になって気づいた。自分を一番蔑ろにしていたのは、自分自身だった。 体を整え、思考を整え、暮らしを整え、そして自分を整える。 守りから、前へ。
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