お払い箱かもしれない、と思っていた|50代コーチが見つけた、潤滑油という生き方
若いコーチが選手と笑いながら話していた。
距離が近い。
目線が同じ。
自然に共感できている。
その場面を見ながら、ふと思った。
俺の価値って、なんだろう。
世代交代を実感した瞬間
50代に差し掛かった頃から、感じるようになった。
若い世代は選手との距離感が違う。
彼らの目線で物事を考えられる。
価値観も近い。
その自然な共感力は、年齢を重ねた自分には簡単には出せないものだ。
稼がなければいけない。
でも首にならないようにするにはどうすればいいか。
若い選手との価値観の隔たりにどう接していいか、常に模索していた。
それをためらいなく実行できている若いコーチたちを見ていると、思った。
そろそろ、お払い箱かもしれない。
40代後半から50代にかけて、この先何を楽しみにやっていこうか。
俺の価値はどこにあるのか。
正直に言えば、迷っていた時期があった。
反面教師が教えてくれたこと
そんな時、上司にこう言われた。
「おじさんたちは化石燃料だから、いつか枯渇する。
これからは新しいエネルギーがメインだから、あまりしゃしゃり出ないように。」
言った本人が、しゃしゃり出て失敗していた。
その姿を見て、確信した。
これがダメなパターンだ。
年齢を重ねた人間が若い世代の邪魔をする。
経験があるからこそ、口を出したくなる。
でもそれが組織を硬直させる。
じゃあ自分はどうすればいいか。
考えた末に出てきた言葉が、「潤滑油」だった。
変化球という武器
今の自分の強みは、経験から来る「気づき」と「選択肢の多さ」だと思っている。
体の異変に気がつく。
適切なアプローチを選択できる。
本人が求めている力を引き出す種目のバリエーションを持っている。
若いコーチやトレーナーが解決できない問題を、解決できることがある。
でも、押し付けない。
うまくいっていることは、たとえベストな選択でなくてもそのままにしておく。
ベストな答えにたどり着けば、それが経験になる。
選手に時間がなくてうまくいっていない時だけ、こちらからアプローチをかける。
その時も、若いコーチのメンツを潰さない。
「これは別のアプローチだ」とさりげなく説明する。
この伝え方ができるのも、経験があるからだと思っている。
潤滑油になると決めた
先頭に立つのをやめた。
他が動きやすい環境を整える。
自分にしかできないことをやる。
それが今の役割だと決めた。
その頃から、変わってきたことがある。
「なんであいつはやらないんだ」という感情が消えた。
「まだ若いから、これができなくてもしょうがない」
「これができるようになってきたな」という見方に変わった。
他のコーチと比較することが減った。
周りからも、自分がどんな時に必要かを理解されるようになってきた。
お互いの特性を活かして仕事をしていく形が、少しずつできてきている。
仕事は、生活の一部になった
世代交代を実感した頃から、もう一つ変わったことがある。
仕事に対するスタンスだ。
以前は仕事に全振りしていた。
稼がなければという感覚が、全ての中心にあった。
でも50代になって、自分自身のことを考える時間が増えた。
時間の大切さを感じるようになった。
仕事は自分の生活の一部だ。
それと同時に、他にすべき時間を確保することも大切になった。
仕事の時間が減った分、その時間の価値が上がった。
量ではなく、質で捉えるようになった。
集中力も上がった。
ブログを始めたのも、最初は副業として稼ぐためだった。
でも今は違う。
自分を整える大切な場になっている。
稼がなければというマインドはまだ薄らいではいない。
でもブログがその中和剤になっている。
矛盾しているかもしれない。
でもその矛盾が、今の自分には心地いい。
お互いに生かされる環境へ
今振り返ると、「お払い箱かもしれない」という不安は、自分が先頭に立ち続けようとしていたから生まれていた気がする。
若い世代に勝とうとしていた。
距離感で。
共感力で。
でもそこで勝負しても勝てない。
勝てない場所で戦うのをやめて、自分にしかできない場所で動く。
それだけで、こんなに楽になるとは思わなかった。
俺が周りに生かされてきたように、今度は俺が周りを生かす番だ。
60歳を定年と考えると、あと数年だ。
選手の成長や葛藤を肌で感じられる。
人間味あふれるドラマがそこにある。
お金で買えない価値が、この仕事にはある。
以前は仕事のストレスをただ消化しようとしていた。
今は違う。
腹一杯になっていた頃より、よく噛んで食べている。
そう思えるようになったのは、潤滑油という役割を見つけてからだ。

